AI疲れのサラリーマンが、編み物に救われた話
AIを使いだしてから、編み物の時間が長くなった。
AIが仕事を肩代わりしてくれるから、ではない。
むしろ逆。AIで出来る仕事が増えたら、人間の業務も増えた。過熱しきって千切れそうな神経をなだめるために、私は棒針と毛糸が手放せなくなった。
それを話すと、かかりつけ医が言った。
「草冠さん。AI疲れに編み物、理にかなってると思います」
彼女の細い眉が弧を描き、ワオ!の表情になった。
私は毎月、精神科に通っている。不眠治療薬を処方してもらうため。
まぁ歯医者や整体に通うようなもので、いつもは気軽なメンテナンスだった。
しかし先日は、体調に異変が起きていた。
薬を飲んでも眠れない。何時間たっても眠りは浅いまま、首ばかりが凝っていく。寝返りをうっているうちに新聞配達のバイクが通り過ぎ、臭いため息をつきながら布団をはねのける。そんな日々が続いていた。
ただでさえ先天性の仕事イヤイヤ症を抱えているところに、強烈な疲労感と倦怠感。たしかに仕事は立て込んでいたけれど、眠れないほどのストレスではない。不気味だった。
私はしばらくの間テレワークに切り替え、時間を見つけては編み物をするようにした。ささやかな気分転換が、調子を整える時がある。
ただ、一度動かしはじめた針と毛糸が、ささやかで止まるわけがなく。オンラインミーティングのカメラをオフにして、密かに編んでいた。背徳感。それはそれは捗った。今や編みかけのフード付きネックウォーマーは、完成間近になっている。
「ここ一ヶ月はそんな感じでした」
医者に報告する。
「草冠さんって、AI使ってお仕事されてます?」
「はい」
「どれくらい?」
「デスクワークはほぼ全部、ですかね」
だって仕事イヤイヤ症だから。誰か代わりに仕事して症でもある。
「たぶんそれだと思います」
彼女はカルテを打ち込んでいたパソコンを指差しながら、言った。
「ここ最近、急に増えてるんですよ。AI疲れの患者さん」
私たちが使っているAIの多くは会話型。
しかしそれは、家族や友人や同僚とのおしゃべりとは違う。AIから望むアウトプットを引き出すための、狙いすました命令。
日常会話がキャッチボールなら、プロンプトは打ち取るためのピッチングだった。
AIで人間が楽になると思ったら大間違い。業務が減ることはあるかもしれないが、脳の負担が軽くなるとは限らない。ということらしい。
「草冠さん。一日中AIを使っているということは、一日中交渉しているようなものです」
たしかに。そういわれて、シックリきた。
当初こそAIの正しさと速さに感動して、嬉々として使っていた。
しかし今は、AIとのやりとりが億劫になっている自覚がある。
「またコイツとやりとりするのか」
融通のきかないクライアントや上司や先輩と、理詰めで渡り合うようなものだった。
これまでになかったタイプの会話に、脳が慣れていないのだと思う。そもそも慣れることなどあるのだろうか。
「人間の脳が慣れるってことは、まぁないですよ。そういうふうに進化してないですから。これから患者さん、増えるでしょうね。ま、私は儲かっていいんですけどね」
冗談冗談と笑った大きな目に、デキるビジネスマンの凄みを感じた。
かと言って、もうAIは業務に手放せない。AI中毒。仕事イヤイヤ症には必然の合併症だった。
「患者さんにAIベンチャーの社長さんがいるんですけどね。その人は、午前中しかAIを使わないそうです。AIを使い過ぎて頭痛くなってぶっ倒れてから、時間を制限しているんですって」
私の首が眠る時に痛むのは、もしかするとそれに似た状態なのかもしれない。
「なので、草冠さん。さっきの編み物の話。いいです。AI疲れに編み物。理にかなってると思います」
草冠さん編み物なんかするんスね、みたいな表情を一瞬たりとも見せなかった彼女は、やはりプロフェッショナルだった。
私のようにAIを長時間使うのであれば、せめて空白の時間を確保してバランスをとるしかないらしい。デジタル機器から離れて、五感を使ってリラックスする。編み物をはじめ、のんびりした手仕事はうってつけ。
「あとクリエイティブな頭の使い方するでしょ?指先も動かすでしょ?脳の動くところがぜんぜん違うんですよ。意外とAI疲れの特効薬かもしれませんね」
なんだかお墨付きをもらった気分で帰宅し、その夜も編み図を広げた。
フード付きのネックウォーマーは大部分が編み上がり、あとはほっかむり部分を残すのみ。頭のてっぺんに向かって目を減らし、編み地をすぼめていく。いわば九合目に入っていた。
しかし、頂上が見えてからがいちばん険しかったりする。私は難所を迎えていた。
減らし目記号が、読めない。
編み図は方眼紙に似ていて、マス目に記号が書かれている。そして「減らせ」の記号が書かれたマス目は、次の段で図から消える。
結果、編み図は山あり谷ありの虫食い状態になり、手元の編み地と同じものとは思えなくなってくる。
「前の段で一つ減らしたから、ここが空欄になってる。今どこ?」
「三段編んだからあわせて六目減ってるはず。はず?どこまで編んだ?」
真夜中。独り言をいいながら、編み図と格闘する。
編んではほどき、ほどいてはほつれ、ほつれを減らし目でごまかす。
そのままならなさや、いい加減さは、おおらかで気持ちが落ち着いた。へんてこりんな模様でも、ウールはちゃんと柔らかい。
生成とかアウトプットとかにはない手触りに、力みきった脳みそが緩んでいく。
翌朝、なんとか仕上げた完成品をかぶって、娘が喜んでくれた。
「これ赤ずきんちゃんが着てるやつじゃん」
そうだ。赤ずきんちゃんの頭巾って、現実に着けてる人見たことないよねぇ、と思ってたら自分で編んでいた。
フードもなんとかカタチになり、彼女の頭をすっぽり温めている。
身を守る方法は人それぞれ。私の場合、それが編み物だったということだ。
だとすると。なぜ先月は、眠れなくなったのか。
きっと編み時間が足りなかったのだろう。もう少し、いやかなり、時間を増やそうと思う。
その間、AIさんにはまた頑張ってもらいながら。

バラクラバ。どちらかというと「珍しい被り物」として娘は喜んでいた

模様がよれ気味。水通ししたら少し目が整うだろうか
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