娘の算数と、私の編み図
勝訴!の勢いで、娘がプリントを見せてくれた。
テストの戻し。50点満点中、4点。
「答えぜんぶ書いてるのエライじゃん」
とりあえず褒めておいた。
娘は衝撃的に算数が苦手。
妻から課されたドリルを、いつもページがかすれるくらい書いたり消したりしている。頭を抱えるフリをして、こっそりネリケシを作っている姿は、かつての私とソックリだった。
私も算数はからきしだった。というか、ほぼ全教科ダメだった。漢字ノートに象形文字を書いて、捨て身の笑いをクラスメイトからとっていた。
大人になれば、勉強しなくて済む。
そう思っていたのだけれど。
最近、編み図の勉強を始めた。大人になってみるもんだ。
編み物を始めて一年。YouTubeの見よう見まねに限界を感じていた。
三ヶ月かけて編んだセーターが小さすぎた事件。あの息苦しさを、今もカラダが覚えている。
実用性とデザイン性をカタチにできるようになりたい。
妻や娘に編みたいなら、なおさらだった。
二人からは要らないと言われるだろうが、私は営業マン。「要らない」からが勝負だ。潜在クライアントを攻略するためのスキルアップとして、編み図に挑むことにした。
そこでさっそく入門書を買い、ページを開く。
料理のレシピみたいだな、というのが第一印象だった。必要な棒針の本数や出来上がりの想定サイズ、おおよその手順などプロフィール情報が記載されている。
そしてその中央に敷き詰められた、おびただしいマス目。方眼紙のような編み図の書式に、記号が書き込まれている。
実は、記号だけならとても簡単。
記号と編み方は1対1の関係だから、混乱する心配はない。
しかも表記はピクトのようにシンプル。たとえば
「|」は表編み。
「ー」は裏編み。
手書きの「入」や「人」に似た記号は減らし目。右糸を上にして減らすから「入」だし、左糸を上にして目を減らすから「人」。記号の“顔”でだいたいの察しがつく。
それぞれ「右上2目一度」とか「左上2目一度」とか、イカツイ名前がついているけれど、一回編んでみれば拍子抜けする。なんだ、糸の動きそのままじゃん。スノーボードの技名が、スゴそうに聞こえて実は回転数を数字にしてるだけ、みたいな感じ。
そもそも編み図記号は大正時代、江藤春代さんという方によって発案されたもの。戦争が多かった時代に、抑圧されていた女性の自立を目指して作られた。だから、とても丁寧に作られている。
それでも、ページをめくる手が重く感じられた。
手近な知識だけでサラリーマンをこなしているうちに、未知のものが億劫になっていた。学ぶことを忘れたまま齢を重ねただけの自分から、目を逸らしたかったのかもしれない。
そこで私は、娘にあやかることにした。
彼女はいつも食卓で勉強をしている。その隣で、私も編み図の練習をさせてもらう。初心者でも編めそうな図をなんとなく選んで、休みの日に。ときどき平日の夜も。
「もうやだ」
娘がドリルの上に突っ伏す。
「算数なんて将来使わないじゃん。なんでやんないといけないの」
「使うよ。お父さん、見積りで使ってる」
「パソコンじゃん」
推論力だけは不都合なほど高い。
「パパそれいつまでやんの」
「んーあと20分くらい。9時まで」
「じゃあたしも」
二人並んで自習。これが軌道に乗るにつれ、彼女の勉強時間が長くなったのは予想外だった。
そして長くなるほど、私の方が耐えられなくなっていった。
まず、目。こんなに疲れると思わなかった。
いま何段目を編んでるんだっけ。何目めまできたっけ。しょっちゅう迷子になるから、小さなマス目を何度も数え直す。
「いちにーさんしーご、アレ?いちにー・・・」
「うるさい。計算のジャマ」
すみません。
そのうえ手元と編み図を見比べるたびに、視界がダブってボヤける。「これ以上飲んだらダメ、と思った時にはもう手遅れ」に似た、こめかみの鈍痛を感じた。
目だけでなく、アタマも疲弊する。
平面図なので、表側から見た記号しか書かれていない。裏側を見ながら編む時は、脳内でアングルを変える想像力が必要になる。
さらに、帽子など立体的なアイテムの編み図には、山と谷ができる。地球儀を地図にすると、笹かまを並べたみたいになるのと同じ。これもまた、山と谷をひっつけた完成形をイメージしなくてはならない。
つまり、編み図の読み方はかなり“3D脳”を使う。仕事以上の集中に、額にヌラりと汗が浮く。
植木算と展開図を呪っていた小学校時代を思い出す。
毎日算数ドリルに向かう娘の丸い背中を、「あなたはがんばってますよ」と撫でたくなる。
とはいえ、親が先にギブアップするわけにいかない。サウナの耐久戦の様相だった。
「今日の分どれくらい残ってるの?」
ページを数える娘の手が、いつまでたっても止まらない。
「そんなに?」
「終わんない。パパはまだやる?」
まだ小さな顔が、頬杖で半分つぶれる。
「うん。まだ編まなきゃいけないから」
「どれくらい?」
「全部で150目を25段くらい」
彼女がシャーペンを手に取り、何か書きだした。
・・・。
・・・。
・・・。
「3750個だね」
「ほんと?」
私も電卓アプリを叩く。
「合ってんじゃん」
私は、顔の穴という穴をすべて開いて褒め称えた。
すごい!やるじゃん!計算してみようと思っただけでバッチリだよ!
素直に笑顔になるところが、まだ小四だった。
「算数、役に立つじゃんよ」
「自分で計算しなくてもAIがやってくれるけどね」
彼女はスマホを顔にかざし、150かける25は?と会話入力していた。
もう電卓アプリですらないらしい。学びの変貌ぶりを目の当たりにすると、なんだか編み図に体温を感じた。
娘の進捗を確認しにきた妻が、横から私の本をかっさらっていく。
「ふーん」
dinosを見る目でページを送る。
「お。これええやん」
ママの話にのってくるフリをして、娘もドリルを放り出した。
「ママに編んだら私もほしい。黒で」
思わぬ大量受注。二人が欲しがってくれるとは思わなかった。
編みたいものができた。これで当てのなかった自主練に、目標が生まれた。
同時に気づいた。私は、娘にとっての“編みたいもの”を、ちゃんと一緒に探せていなかった。
二人が開いていたページを、私も覗き込む。
そこには、見たことのないものが載っていた。
「バラクラバ」って何ですか?
そんでこの「模様編み」って何ですか?
編み図の勉強は、続く。

練習中。編み方を確認するうちに目数や段数を忘れがち
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