ゲイの青年を描いたイラスト展で思い出した、あの日のクラスメイトのこと
眠っていた記憶が、一気に蘇る。その時そよいでいた風の音、香りまで思い出せる。そんな体験ができるのは、絵を鑑賞する醍醐味の一つな気がする。
先日、moriuoさんというイラストレーターの個展に行った。タイトルは「Loneliness and Joy」。東京・東中野のplatform3という、秘密基地のような書店で開催されていた。
展示されていたイラストの多くは、淡い色調で、柔らかいタッチの作品だった。20点近い作品群は、一人の少年がとある出来事からゲイであることを隠し、青年となってふたたび恋心に突き動かされ、それが実るまでのストーリー仕立てになっていた。

恋物語であり、成長物語。温かく、フレッシュで、どこか儚い。その世界にずっといたくなる、そんな作風だった。

そして。その中の一点に目を移した瞬間、私は遠い日の放課後に引き戻された。それがこの作品。

教室で、机を向かい合わせて座る二人の青年。私はまさにこのシーンに出くわしたことがあった。
30年も昔。私が通う高校は男子校だった。
私とMは文化祭の準備のため、角材を倉庫から教室へ運び込もうとしていた。一人二本ずつ両肩に担ぎ、クルッと向きを変えると、ポカッと誰かを小突いてしまう。他の生徒にぶつからないように、廊下を曲がるにも難儀していた。
ようやくたどり着いた教室は、ドアが閉まっている。しかし中に誰かがいる気配があった。きっとTとT君だ。私とMは希望的観測にすがる思いで叫んだ。
「T!T君!ドア開けて!」
TとT君はクラス公認の親友だった。コロコロとして朗らかなTと、丸メガネでおっとりしたT君。二人が親しくなったのは、名前順の席が近かったからかもしれない。彼らは自分達の世界をつくるようにつるみ、他の誰とも距離を感じさせた。我が校らしからぬ秀才たちだったから、偏差値が野茂の背番号くらいしかない私たちとは付き合ってられない、と思われていた可能性もある。放課後はいつも二人で教室に残り、席を並べて宿題をする。それはクラスの日常風景だった。
立て付けの悪いドアを開けてくれたのは、案の定Tだった。その背中越しにT君もこちらも見ていた。
「お願い。ちょっと手伝って。重い。痛い。入らない」
「お。おぅ」
私とMは、それぞれの角材の片棒をTとT君に担いでもらい、ようやく教室に搬入できた。
「いやー助かった。サンキュー。鎖骨折れるかと思った」
荷を下ろしたMが学校指定の学生鞄からポッキーを取り出し、四人で箱に手を伸ばして食べた。食べ盛りの私たちには、このうえなく甘かった。TやT君とも、他愛もない話をした。彼らは歴史のことからゲーム、テレビ番組のことまでなんでも知っていた。そして笑いのセンスが独特だった。束の間、私たちは四人でゲラゲラ笑った。
笑いながら、私とMは気づいていた。教室にはTとT君だけだった。そして二人は壁際で、机を向かい合わせて座っていた。ちょうどあの絵のように。
Mは、空になったポッキーの箱をゴミ箱にシュートした後、
「邪魔してごめん」
と一言残して、教室を出た。私もその後について行った。
Mは何を邪魔したと思ったのか。私も二人の関係を決めてかかるつもりはなかった。しかし、教室から人が消え去るひとときが、彼らにとって貴重な時間だったことは、そこに流れていた静謐な空気で分かった。
窓からの風に、カサカサと揺れるカーテン。焼却炉で何かを焼く匂いと、金木犀の香り。私は昇降口に向かいながら、ピタリと向かい合わせた机で、ふたたび宿題にとりかかるTとT君を想像した。
私たちクラスメイトは、TとT君をいつもそっとしておいた。友達だろうか恋人だろうがその両方だろうが別の何かだろうか、詮索したり揶揄うヤツなど、少なくとも私は見たことはなく、噂話を耳にしたこともない。それがダサくてサモシイことだという不文律は、ただでさえダサくてサモシくて恋愛未経験者だらけの私たちにとって、せめてもの友情でありプライドだった。
でも。それだけでよかったのか。いま思うと正直、落ち着かない気持ちになる。私たちは、ただ彼らを遠巻きにしていただけではなかったか。TとT君が私たちと距離をおいていたのではなく、私たちの方こそ及び腰だったのではないか。
私たちは、いや私は、TやT君ともっと話せばよかったのかもしれない。10代という一瞬を、同じ場所で共にする。それがどれだけ運命的なことか、大人になるとしみじみわかる。
テレビの差別表現が猛威を振るい、LGBTQ+やダイバーシティなんて言葉も、高校生まで届いていない時代。あの頃の私には、彼らの関係を理解することはできなかったかもしれないけれど、彼らを理解することならできたかもしれない。
それともやはり、話しかけたら話しかけたで、余計なお節介だっただろうか。「俺たちクラスメイトじゃん」の押し売り。絵からTとT君の笑い声が聞こえてきて、いつまでも耳から消えなかった。
描かれていた二人の青年たちは、その後どうなっただろう。TやT君は今どうしているだろう。いま誰と一緒だとしても、彼らが達者でいてくれたらと思う。歳を重ねることは、嬉しい出会いを重ねることであってほしい。同窓会の通知が、彼らの胸を苦しめない。そんな時代を、大人になった私たちはまだ作れていない。私の方こそ、成長を問われている気がした。
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