おっさんと小3。初めての編み友
その日も彼女はやってきた。
毎朝きっかり7時半。チャイムも鳴らさず玄関を突破し、土足を疑う勢いで上がりこんでくる。私も妻もそれをわかってて、鍵を開けておくのだけれど。
ガラガラビシャン!と居間の引き戸を開け
「学校いく時間だよー!」
と雄叫びをあげるのが、朝のルーティン。晴れの日も、雨の日も、雪の日も。K子、9歳。近所の小学3年生。私の娘のクラスメイトだ。
彼女にはもう一つルーティンがあり、それが草冠家のパトロール。私の仕事場、家族の寝室、お風呂、押し入れ、どこへでも踏み込み、そこで何かを引っ張り出してきては
「これなにー?」
と、聴取をかけてくる。私の仕事道具だったり、妻の化粧品だったり、娘のおもちゃだったり。念の為もう一度言うと、これが毎朝7時半に、カレンダー通り繰り広げられる。
そんなK子が、私の編み物ボックスを見逃すはずがなかった。赤い小さな旗のようなものをつまみあげ、パタパタ弄びながらきいてくる。
「これなにー?」
「わー!触っちゃダメ!おじさんマフラー編んでんの!」
編み棒は旗竿じゃない!振るな!糸が抜ける!今すぐそれを置いてくれ!
寝癖頭で泡を食うおっさんが面白かったのだろう。小さな目口を大きく開きながら、K子が叫んだ。「ワタシもやる!」
話を聞くに、彼女は図工が好きらしい。そして話を聞くまでもなく、言い出したら退かない性格らしい。しょうがない。娘の登校準備ができるまで、彼女に付き合うしかない。私は余っていた編み棒と毛糸を彼女に渡した。
「これがK子の。まずは作り目からな」
作り目とは、編み目を積み上げていくための土台のこと。一段目ともいう。糸の繰り方はわずか4ステップだが、コッチの手前からアッチを引っ掛けてココの間に落とす、みたいなややこしさがある。これを練習してるうちに、K子も投げ出すだろうと踏んでいた。
彼女のあどけない指と、私の節くれだった指をシンクロさせながら、編み目を作ったり、やり直したりしていく。
「おじさんちでこれやってるってバレたら、ママに怒られる」
「なんで?」
「ママすぐ怒るから。いつも怒ってる。知らない人のうちで編み物なんて」
K子の元気の裏にも、いろいろあるのかもしれない。"知らない人枠"の私は、K子の真隣に座り直した。親指、人さし指、親指、絞る。親指、人さし指、親指、絞る。そうそう「しゃぼん玉とんだ〜」のテンポ。ゆっくりでいいよ。
が。ゆっくり教えたのがマズかった。K子はすんなりと飲み込み、投げ出す前にコツを掴んでしまった。指に力みがなく、小気味よく編み目を連ねていく。目はまだ粗いものの、編み損じは着実に減っていた。ガサツな性格、丁寧な仕事。
「これ、すごく、楽しい」
K子が噛み締めるように笑った。そしてユリイカ!のテンションで、再び叫んだ。
「今日学校いかない!これやる!」
ダメダメダメダメ!学校は行かないとダメ!
しかしK子はボールを抱えるラガーマンのように、編み棒と毛糸玉を抱きしめて動かない。無理やり剥ぎ取るわけにもいかず途方に暮れる私に、娘が耳打ちしてきた。歯磨きしたての香りがした。
「Kちゃんね、授業中はね、教室にいないでね、外でウロウロしてるんだよ」
なるほど。そうか。K子、そういう感じか。
私はK子に向き直って、言った。
「K子、それ学校に持ってっていいよ」
「え?ガチ?」
「もし先生に何か言われたら、俺が持ってけっつったって、言いな」
それを見ていた妻が、大声で怒鳴る。
「アカン!学校にそんなん持ってって、誰か突いたらどげすんの!」
出た、大分弁。本気で昂ってる。
「大丈夫だよ。K子はそんな乱暴はしない。編み棒が危ないなら、ハサミのほうがよっぽどでしょ」
「ヘリクツ言うなや!子どものことや!やめとけや!」
私はK子の編み棒の尖端にキャップをはめ、小さな手提げに入れてやった。
「K子、先っちょのキャップは着けとけ。編むときだけ外す。あとは着けとく。いい?」
「OK」
「そんでこのバッグに入れる」
「うん」
「あと、走るな。危ないから。わかった?」
「わかった」
K子が毛糸玉を手渡してきた。私はそれもバッグに押し込んだ。
実は、私には勝算があった。娘たちが通う小学校は公立なのだけれど、どちらかというと発達の個人差に理解があるほうだった。授業中に座っていられない子はお散歩してもいいし、座っていられるなら好きな本を読んでてもいい。カーテンにくるまって、ノイズをシャットアウトしている子もいる。見えない問題もたくさんあるのだろうが、みんな程よい無関心を保って授業を受けているのを、私は参観日に確認していた。たぶん担任も、K子の編み物を理解してくれる。彼だってK子にウロウロされるより、目の届く教室にいてもらったほうが、見守りやすいはずなのだ。
「K子、勉強いやだったら、席で編み物でもしてな。もし先生に取り上げられたら、そのままあげちゃっていいから」
K子はバッグを握りしめて、学校へ向かった。走っていた。
その日の夕方。彼女がうちに帰ってきた。
ガラガラビシャン!
「すぐできた!この次どうすんの?」
彼女がバッグから、そっと編み棒を取り出す。そこには、朝よりずっと粒揃った作り目が、20目並んでいた。
「これだけあれば、コースター編めるよ」
私は両手で受け取った。
娘にきけば、その日のK子はちゃんと授業を受けたらしい。そのかわり休み時間に、編み物に没頭していたらしい。子どもは子どもなりの方程式で動いている。大人ができることなんて、そこへ入る「好き」という変数を、一緒に探してあげるくらいのものだ。
翌日からK子と私は、一緒に編み物をするようになった。気が向いた朝、ほんの10分くらいだけれど。私はマフラーの続き。K子はコースター。編んだりほどいたり飽きたりしながら、表編みや裏編みを練習している。
そして私は名乗り、結太おじさんと呼ばれるようになった。
46歳と9歳の私たちは、お互いに初めての編み友になった。

K子の作り目。このあと驚異的に上手くなる。上達の過程が見えるのも編み物の魅力

完成した私のマフラーを羽織る娘。刺繍は、PEACE、UNITY、LOVE、HAVING FUN。ヒップホップのクラシックから。
完成した私のマフラーを羽織る娘。刺繍は、PEACE、UNITY、LOVE、HAVING FUN。ヒップホップのクラシックから。
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