九州男児に手編みの帽子を
兄ィが言うことに「はい」以外の返事はありえねぇ。返事の早ぇ男は出世も早ぇもんだ。
昭和にヤクザをやっていたおいちゃんの仕事術。
良い子はマネしちゃダメだと知ったのは、私が社会人になってからだった。
平成半ばのオフィスでは、腹式発声の「ハイッ!」はうるさいだけだった。そのまま出世もしなかった。それもこれも、おいちゃんの躾で育ったせい。と思いたい。
ただ、この「ハイッ」が意外なところで響いてくることもあった。
妻の兄、Y。九州男児から男尊女卑を引いて、3倍の男気を足し戻したような人。
職場結婚だった妻は、私のそのあたりを気に入ってくれたフシもある。おいちゃん、やっぱりありがとう。
大分にいる、妻のお母さんに靴下を編んであげた時のことだった。
「Yにも編んでやってほしいんやわ。帽子。赤がええな。情熱の赤。寒いうちに編んでな」
それは義母のお願いというより、Y兄の母上の命令として私の耳に刺さった。これは間接的に男の約束を交わされたようなもの。
「ハイッ!」
直立不動の二つ返事で、私はニット帽を編むことになった。
誰かのために編むのは、サイズの見極めが難しい。
買ってきた赤い糸は、ウールの並太。かつて似たような糸でニット帽を編んだが、一段めを150目にすると私の頭にピッタリだった。
ただ、Y兄はかなり小柄。義母が「寒いうちに編め」と急かすくらい華奢でもあった。
私と同じサイズで編んだら、帽子というより頭巾になってしまう。赤ずきんおじさん。可愛くない。
妻のスマホにあった写真では寸法がつかめず。かといって、義母に撮影を頼んでも時間がかかりそう。
私は輪針で作り目をしながら、彼の記憶を脳内再生してみた。
私たちが妻の実家に帰ると、たいていY兄はちゃぶ台を前にあぐらをかいている。出たー。
「よぉ来たのぉ」「背ぇ伸びたのぉ」
甲高いしゃがれ声。姪である私の娘の頭やらほっぺやらを撫で回しながら、ニコニコと迎えてくれる。そしてそれきり、帰る日まで笑顔を見ることはない。
「んじゃ飲るか」
声が、私向けに低くなる。
「ハイッ。いただきます」
そこからは、仏壇の線香が香る居間で酒盛りが始まる。夜はもちろん、昼でも。
地元のツテをたどってくれているのだろう。東京では見たこともない銘柄の、香り高い芋焼酎や麦焼酎。麦茶の勢いで注がれる酒を、私は正座で拝飲する。
私が酌を返そうとしても
「ええ。自分でやる」
手で制する。
「俺もトシや。昔んごと飲めんくなった」
そう言って、めちゃくちゃ飲む。昔はバレル単位で飲んでいたんですか?というくらい飲む。
血管の浮いた手で、氷を鳴らしてステンレス・グラスをあおる。
グラスとアタマとの比率は?無理な計算だとはわかっていても、何か手がかりはないか。
「仕事のほうはどうや」
Y兄との共通の話題なんて、仕事のことくらい。一言、だんまり、また一言。将棋を指し合うような、大分と東京のビジネス情報交換。
「若ぇのがなに考えちょんのか。サッパリだわ。コンプラとか知らんし」
若ぇの、がもっぱら男性社員のことなのは話の流れでわかった。
「お前ぇ、そこんとこどうや」
伏せがちだった顔が上がり、目を合わせてくる。
きた。間違えらんないやつ。
酔いが醒める。そこんとこってどこ?これは相談?男気テスト?賛同、進言、弊社の事例共有。どれが正解かわからない。
このやりとりは毎度のことで、これまで不興を買ったことも、怒られたこともない。
しかし。内臓の動きが止まるような、生存本能的な緊張が、どうしても抑えられない。私は空手と柔道の有段者。間合いを詰められるだけで、後退りしたくなる相手というのがいる。あれだ。
おそらくY兄には、そんなつもりはない。じゃぁどんなつもりなのか。それはそれで読めない。
きっと会社の若手さんたちこそ「センパイ何考えてっか分かんないっス」に違いない。
トイレに立つY兄を見上げると、迫力と小兵のギャップに遠近感が狂う。命からがらに似た拍子抜け。
こりゃダメだ。アタマのサイズなんて思い出せるわけがない。
私は妻の頭を借り、初めからこうすればよかったと思いながら、編み進めていった。
作り目は135目。そこからシンプルに一目ゴム編みでいけば、無難に仕上がるだろう。
ニット帽が、ハチマキくらいまで出来た頃。Y兄から妻に電話がかかってきた。私に替われという。
「帽子、無理に編まんでいいけんな。お前ぇも忙しいやろ」
現場に確認しないまま発注してくるクライアントって、いる。義母もそのパターンだったらしい。
それにしても。Y兄なりの優しさなのは分かるが、ぶっきらぼうというか乱暴というか。
「ハイ。でももう結構すすんでますよ」
「見たことねぇぞ、男で編みもんするやつ」
“男らしさ図鑑”に載ってない義弟で悪うござんしたね。そういうとこ、もしかして会社でも出ちゃってます?
「でも寒いうちに間に合わせます」
「フン。そうか。なら早よ送れちゃ」
こんやた。大分弁で、コノヤロウ。
私は計画を大幅に修正することにした。
ぜったいカワイイやつを編んでやる。
帽子は赤一色だから、60歳間近のY兄は還暦感を嫌うだろう。しかも彼はなで肩。丸っこいだけでははマッチ棒になってしまう。もしくはお地蔵様。
そこで、娘に頼み、かぎ針で太めの紐を180cmほど撚ってもらった。これを編み込めばシルエットにエッジが生まれ、少しスポーティになる。
ハチマキ部分は一目ゴム編み。そこから上は二目ゴム編みで。かぶったときに折り返すと、風合いの違いでテクスチャーに変化が生まれる。
アタマの先にかけては減らし目のペースを上げ、少しタイトに。既製品では大きすぎるであろうY兄に、オーダーメードならではのフィット感を。
私は、完成したニット帽をゆうパックでY兄へ送った。土日に受け取れるようにな。
黒ヤギさんに送ってしまったのか、と不安になるほど無反応なまま半月ほど経った頃。うちにゆうパックが届いた。しまった。住所を書き間違えたか。
いや、Y兄からだった。宛先は娘。中にはNintendo Swichのソフトが入っていた。
Yおじちゃんありがとうの舞を舞う娘の隣で、私は彼に電話をかけた。なんか順番が違うとは思ったが、こちらから礼を失するわけにはいかない。
「届きました。ありがとうございます」
「おお。届いたか。あれや。帽子の礼や。これええやないか。気に入ったぞ。これでどこでん行くわ。都町いくわ」
彼はよく喋った。声が笑っていた。聞き耳を立てていた妻も、驚き笑いをしている。
「サイズもピッタリや。あったけぇし。こんならイニシャルでも入れといてもらったらよかった。お前ぇ刺繍もできるんやろ」
「ハイッ」
「こないだNHK見たぞ。編み物、流行ってるみたいやな」
そこからしばらく、テレビの話を傾聴していた。彼が華丸大吉のファンだということも初めて知った。こんなに自分のことを話す人だったのか。
編んでいる時間のぶんだけ、私は彼のことを考えていた。編み物は、それが手触りで伝わるらしい。
大人は誰かを思うばかりで、思われてることは忘れがちになる。そんな出力と入力のバランスが、彼の内で整ったのかもしれない。
私は
「よかったス。なんなら会社にもかぶってってください」
と言っておいた。
電話を切った後、気づいた。洗濯の仕方を教えるの忘れた。
ま、いいか。ユルくなったらその時は、また編んでやろうと思う。次も小さめで。
今度はYの刺繍も入れます。ハイッ。

一部を糸、というか紐に近い太さにすることで、シルエットにアクセントをつけてみた。
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