スペシャルオリンピックスの思い出〜Uくんと僕たちの数年後〜
スペシャルオリンピックスの会期は、短い。冬季だった今年は3月8日から15日まで、開催地はイタリアのトリノ。気づいたら、とっくに終わっていた。
スペシャルオリンピックスとは、知的障害のある方を主な選手としたスポーツの世界大会。というだけでなく、スポーツの機会や競技会を通年で設けている団体とその活動のことも指す。だからお尻に「ス」がつく。複数形。勝ち負けよりもプロセスとか成長、社会性に重きをおいているところが私は好きだ。
私には一つだけ、スペシャルオリンピックスの思い出がある。
もう30年以上も昔のこと。私が通っていた、東京の県境ギリギリにある市立中学には、いろんな生徒がいた。市が福祉に力を入れていたことも関係していたのかもしれない。多様性やダイバーシティなんて言葉のない時代。ただでさえ豊かな生物生態系に囲まれた学び舎で、さらにとっ散らかった個性や家庭環境の学生たちが、勉強したりしなかったりしていた。
その中に、Uくんもいた。彼は背が高く、肌は健康的に焼けていて、スラリとしていた。一見して、運動能力が高そうな佇まい。実際、走るのが速かった。とにかく誰より速かった。陸上部に所属して、短距離も長距離もいけるマルチランナー。フォームには無駄がなく、風を味方につける姿が気持ちよさそうだった。
体育祭ではつねにアンカー。彼がいるクラスは価値が約束されるので「走る守護神」もしくは「戦意を喪失させる戦神」と目されていた。走るのが大嫌いな肥満児、というか走ってもなぜか前に進まない私からすれば、羨望を超えて畏怖すら感じた。
しかし、教室でのUくんはいつもキョロキョロしていた。おしゃべりも少したどたどしい。自分の考えを表現するのが苦手で、オドオドしてしまう。勉強も不得意。字はゆっくり、丁寧に書く。驚いたり窮したりすると、低くのぶとい声でよく泣いていたのを覚えている。
精悍で、流麗で、どこか儚い。サバンナを駆けるインパラのような。それがUくんだった。
僕たちが中学3年になり、卒業が見えてきたある日。彼が唐突に、こう言い出したことがあった。「それ、やめろよぉ。くん、やめろよぉ」UくんUくんと、くん付けで呼ぶのをやめろというのだ。彼以外の男友達は学年が上がるにつれて、くん呼びが、呼び捨てになり、あるいはニックネームになり。それが少年から男性への成長を物語っていた。でもUくんはUくんのまま。もしかすると彼は、自分が子ども扱いされていると感じていたのかもしれない。
いや、Uくん、ちょっとたんま。なんだよ急に。俺たち小学校からの9年間「Uくん」でやってきてるのよ?しかも俺だって草くんだよ?なんなら結っちゃんだったりするのよ?くん付けは君だけじゃないし、今さら呼び方変えるなんて小っ恥ずかしいよ。新加勢大周くらい違和感があるよ。
僕らは、Uくんの改名タイミングを逸したまま卒業。みんな別々の高校に進学した。Uくんは高校ではない、特別な学校に進んだときいていた。
時は流れて、数年後。僕たちはお酒を飲む年頃になっていた。久々に集まって近況報告をしあう中で、同級生の一人が言った。
「そういえばさ。Uくんがさ、スペシャルオリンピックに出てたんだよ!」
「おお!そうきたか!」
卒業以来、耳にしていなかったUくん名前。しかも近況報告じゃなくて戦況報告。僕らは笑った。Uくん、まだ走ってたか!やるな!彼が好きなことを続けていたことが嬉しかった。
そして、黙りこんだ。酒臭い息を、グラスに大きく吐き出しながら。僕らは進学し、あるいは就職していた。やりたいことや夢を、あるいは何かを見つける前に、一つひとつ手放す時期に差し掛かっていた。社会の側から用意された型に自分を嵌め込み、つまらない未来へ押し出されていく。そこには、自分らしさなど跡形もない。
でもUくんは、走っていた。走り続けていた。そもそも僕たちは、彼を知的障害者として線引きしたことはなく、いいヤツだから仲良くしてた。UくんはUくん。あるがまま。だから出場している大会が、マラソン大会だろうが、スペシャルオリンピックスだろうが、どうでもよかった。彼が好きなこと、自分の成長を諦めていなかったこと。それだけで、金メダルだろ。彼は、僕らよりもずっと前を走っていたのだった。私は、トラックを駆け抜ける彼の背中を思い出していた。
「あいつ、マジすげーな」「お前はまだマシだろ。俺なんてさ」「みんなそんなもんでしょ」Uくんへの敬服。自分への忸怩。安い居酒屋での、塩辛い会話だった。俺たちはこの先、何の選手になるんだろう。自分にとってのメダルって、何だろう。不安をかち割るように、僕らはジョッキを思い切りぶつけ合い、盛大にUくんへ乾杯を捧げた。
「あ」
焼き鳥の香ばしい匂いに刺激されたのか、誰かが思いついたように言った。
「Uくん、呼んじゃう?」
「今から?」
「くるでしょ」
「一回飲んだことあるけど、すげー飲むよあいつ」
こういうとき、地元でくすぶっているメリットは大きい。金のない実家暮らしの若者たちは、友情の無駄遣いを惜しまない。
「Uくんちの番号、俺わかるよ」
誰かが小さな電話帳を取り出した。
「かけてみろよ」
「あれ覚えてる?Uくんがさ、くん付けやめろって言い出したの」
「あーあったね。覚えてる」
ガラケーから漏れる、電話の呼び出し音。その音に、みなが耳をそばだてる。
「ガチャ。はい」
Uくんのお母さんの声。
「あ。●●です。ご無沙汰してます。夜分にすいません。Uくんて今いますか?」
「U〜!U〜!」
実家の階上にいるUくんを呼んでいるようだった。電話を耳に当てていたたヤツが、耳からガラケーをはなし、発話口をこちらに向けてくる。
僕らは全員で大声を揃え、ガラケーに向かって一斉に叫んだ。
「U選手、おいでよ!一緒に飲もうぜ!」
その晩の、その後のことは、まったく記憶にない。唯一覚えているのは、Uくんの酒量は確かにスペシャルだった、ということだけだ。
(終わり)
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