難聴の見つけ方。抑うつ状態の見分け方〜私が二枚の診断書を会社に出すまで〜
「人は一気に壊れません。一つひとつ壊れていって、マズいと気づいた時にはもう手遅れ。みなさんそのパターンです」
耳鼻科医が老眼鏡を外し、顎髭に手を当てながら言った。どこか政治学者が戦争の過ちを講義するふうだった。そして、検査結果の用紙を束に揃えながら、続けた。
「今すぐに休んでください。今ならまだ聴力は戻ります」
私は耳の聞こえが突然悪くなり、医者に駆け込んでいたのだった。
その前日、2025年3月10 日(月)の深夜。シャワーを浴びると、左耳に水が入った。そしてどうにも抜けなくなった。綿棒で拭っても、片足立ちジャンプで頭を叩いても、ジワリともこない。水が完全に耳を塞いでいる。
「ま、寝れば出てくるでしょ」
しかし朝が来ても、左耳の音はくぐもったままだった。娘の「おはよう」が歪んで聞こえる。その声の遠さに焦る。これ、水が原因じゃないな。そのまま耳鼻科へ直行し、検査を受けた。
まずは問診。タブレットで答えるアンケートだった。生年月日から既往歴、通院歴、就業状況、精神状態、はては食生活に至るまで、全178問の質問攻め。不健康・不摂生な回答を何十と記入し続けるうち、質問というより詰問されている心持ちになった。このアンケートは、遠回しに反省を促しているんじゃなかろうか。
続いて聴力検査。ひんやりとしたヘッドホンから音が聞こえたら、リモートシャッターに似た機械で応答するアレ。おなじみの音聴き早押しクイズ。私の検査結果を見た看護師さんが、眉を顰めて言った。
「結果については先生からお話あると思いますが。しばらくは”左の席”に座るようにしてください。会議とか、お食事の時とか。”左の席”なら右耳で音をキャッチできるので」
それって、ほぼ結果じゃないでしょうか。先生のお話を待つまでもなく、私は自分の耳がどういう状態なのか想像がついてしまった。
想像といえば。想像以上というか以下というか、だったのが、バランス感覚。
私が受けた検査に、重心の動揺を測る検査もあった。目を瞑り、両腕を左右に伸ばし、その場で足踏みを繰り返す検査。さらには、体重計にそっくりな機械に乗り、壁の一点をジッと見つめる、立禅のような検査もした。そしてどちらも異常値が出た。
とくに目瞑り足踏み検査。視覚を閉ざし、一、二、一、二と腿上げをしていると、たいがいの人は思わぬ方向へ進んでいくらしい。しかし私の場合は、そこに距離が加わった。部屋の中央から始め、30歩も踏まないうちに、指先が布を突いた。担当の看護師さんに触れてしまったか。「ごめんなさい!」と目を開けると、カーテンだった。そこで検査は強制終了。振り向けば、スタート地点ははるか背後。彼女が
「まだそこにいてくださーい。窓際まで行く人、なかなかいないですからー」
と大声で、指示と感想をいっぺんに投げて寄越した。
検査を済ませ診察室に移ると、分厚い老眼鏡をかけた医師が、検査結果の用紙をめくりながら入ってきた
。「草冠さん、聞こえづらいとおっしゃっていたのは、左耳でしたよね?」
「はい」
「ここ。このグラフなんですけどね」
彼がボールペンで用紙の一部をグルグルとやる。
「両耳(の聴力が)落ちてますね。去年と比べてかなり」
赤と青の折れ線グラフ。その上下の隔たりは、何かが蒸発してしまった跡に見えた。
「あー両耳いっちゃってますか」
「立派な難聴です」
イヤな立派があったもんだ。
そして用紙を一枚を引き抜き、解説を続けた。
「それとこっち。平衡感覚もかなり乱れてます。酔っ払ってるとか、目を回しているとかいうレベルです。三半規管が弱っています。身に覚えありませんか?」
三半規管?思い当たるフシはあったが、単なる立ち眩みだとタカを括っていた。
「メニエール病の可能性もあります」
ティッシュみたいだな。頭に浮かんだのはそれくらい。矢継ぎ早な展開に、脳が現実逃避する。
「原因は慢性的な働きすぎです。まずは一ヶ月間、きっぱり休んでください。復帰は、聴力がいつ戻るかによります。聴力が戻ってくるまでが第一段階。聴力が安定してからが第二段階。第二段階に入っても、疲労の固着具合では、また落ちてしまったりします。なのでまず会社に、休めるだけ休みたいと相談してください」
第一段階と第二段階の違いが分からなかった。分かったのは、聴力が戻るまでは休め、ということだけ。
でもこの感じ、知ってる。のばしにのばしていた借金の返済日が、とうとう来た。あの感じだ。溜まった疲労とストレスのツケがまわってきた。利子はカラダで返せ。耳がキーンと鳴った。
かれこれ1年ほど、マイクのハウリングのような、頭の芯に響く耳鳴りに悩まされていた。強いストレスを感じると、呼応してソレが始まる。これまでは
「誰でもこんなもんだろ」
と思い込みながら、先のことは考えないようにしてきた。
それがいよいよ難聴に発展した。正月から続く連続勤務に加え、半年間にわたった仕事が年度末に頓挫。報酬が出ないと判明したのが、3月10日だった。あれでストレスの利用額が上限に達した、というわけだ。間違いない。
休みを会社に掛け合うために、武器が欲しかった。先生に診断書をお願いすると、こう書かれていた。
『診断名:突発性難聴、めまい症。早急な安静療養、内服加療を要する見込み』
「長期間カラダを休めても、仕事を忘れるくらい休んでも、耳がもとに戻らない場合。今度はメンタルからのアプローチが必要になります。今かかってらっしゃる精神科の先生にも相談した方がいいと思います」
私はむしろ、耳鼻科医がメンタル以外のアプローチを探っていたことに驚いた。耳といえば精神的なもの。そう思い込んでいた。そうか。身体的な疲労だけでも耳にくることがある、ということか。
私は耳鼻科医に促されるまでもなく、かかりつけの精神科に予約を入れていた。耳の不調に先行して抑うつ症状が重くなり、薬だけでは日常生活が立ち行かなくなっていたからだった。
一ヶ月ぶりに会う精神科の担当医は、短めのボブにしていた。髪を耳にひっかける仕草が、いつもと違う風景に見える。
「耳にきちゃいましたか」
「はい。診断書出してもらいました」
「こちらも出しましょうか?」
診断書が二枚も必要なのか、私には分からなかった。仕事から逃げる口実をかき集めているようで、後ろめたくもあった。堂々と逃げる方法、というものは成立するのだろうか。
彼女がパソコンに何かを打ち込みながら、説明を始める。声がタイピング音に紛れ、聞き取りづらい。私は右耳を彼女に向けた。
「うつ病の症状っていろいろあるんですけど、そのうち気分が落ち込んだり、頭が働かないとかが長く続いてしまっている状態を、抑うつ状態といいます。今、診断書に書くとしたらそれになります」
「あの。うつ病と抑うつ状態の違いってなんですか?」
「うつ病は病名、抑うつ状態は症状名です。天と地ほど違いがあります」
彼女が両腕と両目を大きく広げて、落差を表現した。
「仕事を休んでもまだ抑うつ状態が治らない場合、うつ病の可能性が高いです。脳機能が低下したまま。そうなるまで放っておくと、2年間くらい休んで治療するので大変なんです。草冠さんも危ないとこにいます」
抑うつ状態とうつ病は、滝口と滝壺みたいなものなのかもしれなかった。私は精神科に通いながら、流れに抗っているということか。実は、彼女が私の病名を明言したのは、これが初めてだった。診断書となれば、流動的な状態にも名前を与えないといけない。メンタルからのアプローチの難しさを垣間見た気がした。
「となると。抑うつ状態と、やる気がないだけの違いというか、どこで見分けるんですか」
「ミスをするかどうかです。うつ症状の一つに集中力が下がるというのがあるんですけど、このままミスを連発しちゃ周りに迷惑をかける、というところで、みなさん退きます。みなさん草冠さんほどひどくなる前に、とっくに休職してますよ、普通」
それを早く言うでしょ、普通。他に診断書が出ているという事実が、彼女の口を軽くしているように見えた。背中を押してほしいのは誰でも一緒。
彼女からの診断書には
『傷病名 抑うつ状態。令和7年●月●日から3ヶ月の休養加療を要する見込みである』
とあった。
難聴と抑うつ状態の診断書、二枚。二刀で挑むように会社へ提出したそれらは、意外にもあっさり受理され、休職の許可がおりた。さらに意外なことに、上司からは「無責任に休んでしまえ」と言われ、同僚からも「押し付けてもらっていいスよ」と心強い言葉があった。
とはいえ私がこうなったのは、異動人事による欠員の穴埋めや、同時多発的に休暇を取得するメンバーの業務代行を負ってきたせいでもある。押し付けられる側から、押し付ける側へ。この爆弾リレーで誰が幸せになるというのか。
しかし。そんな理想論が通用しないところまで、私は追い詰められてしまった。働き方、いや、生き方を見つめ直す機会なのかもしれない。自分の文化を変えなければならない。なんてもっともらしいことを考える余裕はなく、ひたすら途方に暮れた。ドクターストップに安堵する自分、休暇に密かに心を躍らせる自分を想像していたのに、実際は淡々と戸惑い、悩みが残っただけ。そこに解放感はなかった。
さて、これからどうしよう。とりあえず、たった三ヶ月で7kgもついてしまった内臓脂肪、別名「出腹」を引っ込めるところから始めようか。
耳鼻科の先生からは、
「とにかくカラダを休めてください。人間、息しているだけでも体力使ってるので。あと頭も使わないでください。パソコンからも離れてください」
と言われているのだけれど。
このブログは、さっそく禁を破って書いている。
これだけは壊させない。そんなものが、一つくらいあってもいいじゃないか。
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