インフル休暇と指編み
休む勇気、というものがある。ある、と信じたい。
37度8分。ギリ働ける体温。
リモートワークが定着して、インフルエンザでも休みづらくなった。お家で働けばいいじゃない。ノルマやら納期やらのプレッシャーが、悪寒を増幅させる。
しかし。私は仕事を休むことに決めた。いかんせん、今年のインフルエンザは流行るのが早い。会社でも病欠者が続出するだろう。私がここで休めば、今後チームのメンバーも気兼ねなく休める。これはチームリーダーとしての戦略的勤怠マネジメントだ。断固そうなのだ!
「申し訳ありません。インフルエンザにかかってしまったかもしれません。本日はお休みをいただきます」
後ろめたさを慇懃に隠したメッセージを、部のチャットへ送った。のだけれど。
ヒマ。
落ち着かない。
掃除、洗濯、洗い物を午前中で完了し、在宅ワークの妻と二人分の昼食を作ったついでに、夕食の下拵えまで終えた。もうタスクがない。間が持たない。残る半日の長さに気が遠のく。やることはないか?できることはないか?体調不良なのだからじっとしてればいいものを、「なにもしない」ができない。
生産性中毒。休めないのはノルマや納期ではなく、休もうとしない自分のせいかもしれなかった。
禁断症状のようにウロウロする私が、目障りだったのだろう。妻が言った。
「休むのヘタクソか。ヒマなんやったらネックウォーマー編んでや。あの子、去年買ったの失くしやがってん」
発注きました。
「かわいいのにしてや」
「チクチクはあかんで」
「ダウンにも合わせるけん、ちっと大きめで」
娘のためとはいえ、注文が多い。しかし、口うるさいクライアントほど燃えるのが営業マンの性。はい。承知いたしました。
そこで私は、指編みを選んだ。棒針編みやかぎ針編みと違って、指だけでできる編み方。こまごました針仕事が少し億劫だった私には、うってつけだった。
指編みは、太めの毛糸が編みやすい。なので在庫から一番太いのをセレクト。太すぎてもはやロープなのだが、ジェラート・ピケのように柔らかい。衝動買いした糸に出番が来たことが嬉しかった。
とか言っておきながら、私にとって指編みは初めて。YouTubeのビギナー動画をスマホで再生しながら、スローにしたり巻戻したりしながら編んでいった。
まずはスプーンに似せて糸の輪っかを作り、そこにまた糸を通す。輪っかに糸、輪っかに糸。これを続けると鎖のようになる。アタマとシッポをグルっとつなげたら一段目の出来上がり。
そして輪っかの一つに人さし指と親指を突っ込み、隣の輪っかをつまんで引き出す。すると、輪っか同士が交差するカタチになる。このワンパターンの繰り返しだけで、自然とネックウォーマーに編み上がっていく。
「こんな編み方、よく考えついたな」
毛糸を指で繰りながら、感心してしまう。
タテヨコななめ手前奥。指の運びはシンプルなのに、他の何にも似ていない。どうしたらこんなメカニズムに辿り着くのか。
それと同時に、多少間違えてもぜんぜん大丈夫、大勢に影響を与えない構造にもなっている。なんせウン十、ウン百、ウン千の編み目を積み上げていくのだ。間違えないわけがない。それでも簡単にリカバリーできるから今日まで残っているのだ、とも言える。細やかなようで大らか。几帳面なようでいい加減。
本当にうまく考えられている。発明した人は本当にスゴイ。編み物の歴史は、遡れないほど古いという。映像はおろか文字もない時代にこれを受け継ぎ、広めてきた人々もまたスゴイ。今で言えば、イノベーターとかエバンジェリストといったところか。
古典を読むと、人類の叡智を感じる。編み物はそれに似ている。
半分ほど編めたところで、ネックウォーマーの全容が見えてきた。妻のチェックを受ける。報連相。
「こんな感じになりそう」
「ええやんええやん。ちょっとデカすぎるか?」
大きめに作れって言ってたじゃん。もう進んじゃってるよ。注文変更によくある風景。
「洗えば少し縮むし、ダウンの首回りにはこのくらいあったほうがいいよ」
微熱でも切り返しトークに澱みなし。営業マン人生20年のたまもの。
「そうや。ダウンといえばな」
そこから、妻の話が始まった。
去年買った娘の冬服たちが、ことごとくサイズオーバーしていること。
ホリエモンの「REAL VALUE」の配信が待ちきれず、じれったいこと。
娘にボーイフレンドができたのはいいが、三角関係らしいこと。
今年は実家で年を越したいこと。
回転寿司の蟹祭りに行く、という宣言。
「ほんでさ」
しゃべりに句読点がない。彼女はコーヒーを啜りながら、ずっと話し続けた。私も手元に目を落としながら、応え続けた。
ニットセラピーというものがあるくらい、編み物にはリラックス効果がある。そのせいか、だんだん耳が開いていく感覚があった。彼女の話を、声を、こんなに聞くのはいつぶりだろう。
視線を交わさない会話は、独り言を持ち寄るようで、取り止めのなさが心地よかった。娘が帰ってくるまでの、二人の時間。かつての長電話を思い出した。もしかしたら私は日々、彼女にも”結論から先に”話してしまってたのかもしれない。
最後の最後で極太糸の始末に手こずったものの、なんとか完成にこぎつけた。
本当にできたという、驚き含みの達成感。思えば遠くへ来たもんだ。
喜びに確かな手触りがある、というのもいい。しかも、温めるという実用性まである。家族への貢献を象徴しているようで、自己肯定感が上がる。お金まで電子になる時代、給料日でもこんなに心が踊らない。生産性中毒者にふさわしい休日だった。
この記念すべき日の成果物を記録すべくスマホで撮影していると、娘が帰ってきた。何より気になるのは、ユーザーの評価。ランドセルを下ろした彼女の首に、さっそく着ける。金メダルを授与する人って、こんな気分なんだろうか。
「どう?」
「でけーよ」
怖っ。娘が怒っている。
思わず目でキッチンに助けを求めると
「ほらーだから言うたやん」
妻も怒っている。
「ブカブカ。首スースーする」
・・・ごめん。二人してそんなに怒らなくてもいいじゃないですか。
結局、別のネックウォーマーを編み直すことで許してもらった。今度は赤い糸で、もっと細いやつがいいとのこと。そこから気に入らなかったんかい。当人のいないところで当人のことを決めるな、ということか。
私はこの日、休む勇気と、途中で引き返す勇気を学んだ。
ちなみに。かかった費用は毛糸代800円。蟹の握り3皿分だった。
鳥の巣みたい。これもハンドクラフトの味、ということにしておく
ネックウォーマーというより、エリザベスカラーになってしまった
ネックウォーマーというより、エリザベスカラーになってしまった
(終わり)
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