筋トレ好きな後輩に、編み物をプレゼンしてみた。
週に8回ジムに行く、という後輩が会社にいる。
「毎日以上じゃねぇか」
「毎日は行きませんよ。そんなヒマじゃないんで」
謎が深まる。
その彼が、腰を壊した。床のバーベルを持ち上げるエクササイズで、ギクッときたらしい。ちなみにそのエクササイズは、デッドリフトという。
肉月に要(かなめ)とはよく書いたもので、腰を痛めると身体のどこにも力が入らなくなる。かくして彼のジム通い、というかジム暮らしは、しばらくお預けとなった。
そこで私は、彼に編み物を勧めてみた。
「冬服のラインナップ増えるぞ」と。
布教活動。
実は。マッチョというのは、服に悩んでいることが多い。ウエストはMなのに肩幅や胸板はXL、なんてことがよくあるからだ。やむなくオーバーサイズ気味の服を着れば、せっかく鍛えた逆三角の体型が隠れてしまう。貫頭衣みたい、といえばご想像いただけるだろうか。Tシャツを着られる夏ならまだしも、冬が来ると「こんなはずじゃなかった」と洋服迷子になる。
「草冠さん、編み物なんてするんスか?」
後輩が半笑いで返してきた。知らないものに冷笑で反応するのは、キミの悪いクセだ。しかも、先輩の親身な提案に“なんて”ときたもんだ。
私は冷静を装いながら、向かいのデスクに座る彼をまっすぐ見つめた。
「いいですか?筋トレと編み物は、とてもよく似ています。根拠は3つあります」
頭に血が上ると敬語になる人っている。私だ。そこから約5分間。私は彼に編み物をプレゼンした。隣の部からは、営業トークのロープレにしか見えなかっただろう。
まず、どちらも「孤独の嗜み」です。
私たち勤め人は、起きている時間のほとんどを誰かに奪われている、といって過言ではありません。お客、上長、同僚、家族、友だち、恋人、SNS。今やぼっちは贅沢品です。
筋トレはというと、自身との対話ですよね?もうムリ。まだいける。追い込んでる時くらい、自分に集中したいじゃないですか。なんなら、一人になりたくて筋トレしているフシすらある。
編み物も同じです。時間を独り占めして楽しむもの。棒針編みダブルスやかぎ針編み駅伝なんて、きいたことありません。柔らかな毛糸を指先で操っていると、いつしかスマホを忘れます。それだけで、かなり人間関係の喧騒から逃れられる。心のノイズキャンセリング。カフェで編んでいると、コーヒーがしみじみ美味しいですよ。
つまり、どちらも嗜みとしての孤独ということです。仕上がりを一人ひそかに愛でるところまでソックリ。筋トレ好きなアナタなら、きっと編み物も楽しいと思います。
「なるほどですねー」
プロテイン飲料のパックにストローを差しながら、後輩はうんうんと聞いてくれた。興味のない駄話に付き合うのもラクじゃない。彼は、ちゃんと話せばちゃんと聞いてくれるヤツだった。「なるほど」は目下に使う大名言葉であることは、この際おいとく。
「さすが。コジツケ芸なら新橋イチっスね」
ヤツはほんとに私をバカにしている可能性がある。
「でも編み物ってジっとしてるし、筋トレは動きまくるし。根っこからちゃうっしょ」
「確かにその気持ちはわかります。そして、さすがの着眼点です。そう。編み物は静、筋トレは動。でもその根本は?ってことです。実はこれが2つ目の根拠」
筋トレと編み物、結局はどちらも「癒し」なんです。
筋トレは、鍛えるのと同じくらい休息が重要だということは、釈迦説かと。重要度で言えば50:50、自転車の前輪と後輪ですね。癒すために筋肉を傷つける。それが超回復の原理です。しかも筋肉がつくだけじゃない。頭がスッキリします。要因の一つは、身体がトレーニング後に休息モードに入るから。副交感神経が優位になる、ってきいたことありますかね。これがリフレッシュ感を生むのです。
編み物もしかり。毛糸と針のリズムに没頭していると、気持ちが落ち着いてきます。次の編み目をどうしよう?何段編めた?と、「今ここ」に集中するからです。これもやはり副交感神経が優位な状態。いま流行りのマインドフルネスですね。実際、2015年頃に出された「調査研究ジャーナル」には、千葉県民保健予防財団ってところが出したんですけど、抑うつや不安を抱えた人による手編みのマインドフルネス効果(注意集中)について、論文が掲載されています。千葉大の研究者のもの。チャッピーにきけば、他にも沢っ山でてきます。
とどのつまり筋トレも編み物も、根本は「癒し」なんです。腰を治してる今なら、編み物の効果も感じやすいんじゃないかと思います。
そして、ここが肝心。この「癒し」ほど、われわれビジネスパーソンに重要なことはありません。働き続けるうえでの死活問題。発展の持続可能性という意味では、筋トレも編み物も、もはやSDGsと言えるのです。
「SDGs、ではないですよね」
「ないですね」
「癒しならサウナでも良くないスか?ジムにあるし」
クッ。いいジムに行ってやがる。正攻法では歯が立たない。わたしはそう判断した。3つめの根拠として「筋トレも編み物も、成果が約束されている。“ほんとにできた!”はVUCA時代の精神安定剤だ」と訴えようとしたが、作戦変更。
「ところでさ、そもそもなんでそんなにジム通ってんの?」
「体作りっス」
「それだけ?」
「健康のためっス」
「そんで?」
「体調管理っス」
「・・・・・」
「・・・・・」
同じことしか言わなくなったら、答えに窮している証拠。私は彼の純朴なところが好きだった。相手の痛いところは、突くのではなく撫でてやる。これも営業テクニック。
実はね。筋トレも編み物も、「名刺」になるのよ。営業マンたるもの、お客や業者さんに覚えてもらってナンボ。できれば好印象を残したいじゃない?確かに逞しい身体は見映えするよ。自己管理できてる、いかにもシゴデキ。中には「あらステキ」なんて思う人もいるかもね。
だけどさ。コロナで宅トレが流行ってからこっち、マッチョはコモディティ化してるわけだ。インフレと言ってもいい。差別化が必要なんだよ。
そこで、編み物だ。マッチョの性格がなんとなく想像つくように、編み物好きな人の性格も、なんとなーく想像できるでしょ?温厚だとか、繊細だとか、実直だとか。たぶん悪いイメージはないはず。実際、編み物好きに悪い人はいない。知らんけど。
つまり、だ。編み物という趣味は、キミの人柄を見える化するんだ。その大胸筋の鎧に隠した優しさを、隠したままで終わらせますか?って話だよ。「こう見えて僕、編み物するんです」これでキミを覚えない人はいない。あえて言おう、ギャップ萌えであると。仕事でもプライベートでも、いつかお役に立ちますよ。
邪道だ。編み物に男も女もない。ましてモテのためにするもんじゃない。下心をコチョコチョしている私の口も曲がりそうだ。そもそも会社でモテの話は、コンプラ的にありなのか。しかし、ドリルを売るなら穴を売れ。この際、背に腹は代えられなかった。もう何が背で何が腹かなんて、どうでもいい。私は編み友が欲しい。
以上「孤独」「癒し」「名刺」の3点から、筋トレと編み物はほぼ同じものと言えます。繊維が関係しているのも偶然じゃない。北極と南極みたいなものだな。対極にありながら、まるで双子。最後に費用の話ね。グッズはダイソーとかの百均で買える。針と毛糸で最低200円あればOK。ジム会費のウン十分の一だと思ったら、ノーリスクだよ。
「草冠さん編んだの、ちょ見せてくださいよ」
シメタ。サンプルを欲しがったら半落ち。ただ、問題があった。今のところ、完成したトップスは一着のみ。しかもダサい。妻にウケようとして、見事にスベった。しかし、失敗を見せるのも大切な後進教育。私は彼にスマホを見せた。
「・・・。ダヨーンに似てますね!」
それがこれ↓
チョッキだけに。英文は好きなヒップホップの曲から
ダヨーン。私の世代は赤塚不二夫の「おそ松くん」。後輩くんは「おそ松さん」で知ったらしい
ダヨーン。私の世代は赤塚不二夫の「おそ松くん」。後輩くんは「おそ松さん」で知ったらしい
似てるかな?似てるかも。うん、似てるな。ワードセンス、天才かよ。
たぶん、彼なりに気を使ってくれたのだった。刺繍がサムいとか。横幅アンバランスとか。なんか貧乏くさいとか。すべてのツッコミを飲み込んで、ゲップのように出てきたのが「ダヨーン」だった。
「このベストくださいよ。コルセットつけてても着れそうですし。あったかそうだし」
これもまた彼なりの礼儀だったのだろう。相手の痛いところは、突くのではなく撫でてやる。キミという後輩を持ててよかったよ。
編み物を続けていると、誰かのために編む日がくることもある。大切な人のことを考えながら、編み目を重ねていく。実は、それも編み物の大きな魅力だったりする。だから彼は向いてるんだけどなぁ。ヤツが編んだものは、きっと温かいだろう。
直帰チョッキ。週に8回ジムに行くキミにはピッタリだよ。とは言わなかった。無念。布教ならず。
と思ったら。話を後ろで聞いていたかなり上の先輩が
「あたし編み物やるよ」
と口を挟んできた。いた。隠れアミシタン。まさかこんな近くに潜伏してたとは。しかもかなりのベテラン。エラそうな屁理屈をすべて聞かれていた私は、デスクで恐縮しきりだった。
今はこの先輩と、どうにか後輩くんを引きずり込めないか、画策している。
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