決算月にネクタイを編む

決算月にネクタイを編む
草冠結太 2025.12.23
誰でも

「本年度の業績ですが、目標達成は難しい見込みです。最大の要因は」

顔を真っ赤にした社長の決算説明を、編み物しながら聞いていた。在宅ワークっていいもんだ。

我が社の決算月は12月。私は編む時間を増やしていた。ストレス対策として。

決算月には売上確定がつきもの。多少の強引は承知で、納品を増やさなくてはならない。これは値段交渉の緊張が重なる、ということでもある。営業マンとしては薄氷を踏む、どころかダッシュする思いで利益を追わなくてはならない。追うだけならまだいい。膨大な請求・支払の事務仕事に追われもする。

追ったり追われたり。目の回る日々が、仕事納めまでブッ続く。正気を保ってノルマを達成するためには、ストレスをコントロールしなくてはならなかった。

しかも私は、うつによる休職から復帰したばかり。難聴や過呼吸が再び襲ってきそうで怖くもあった。かかりつけ医の優しい笑顔を思い出す。「診断書、またいつでも出しますよ」いつでも出る診断書というのは、さらに怖い。

なりふり構っていられない。私はタブーを犯すことにしたのだった。

仕事中に、編み物をする。

タブーがちっちゃい。しかし家族も部下もいる40代中間管理職には、これが精一杯の勇気。私なりの生存戦略だった。

編むのは、ネイビーのネクタイ。会社バッグに入れるから、持ち運べる大きさのもの。仕事中にバレても、なんとか切り抜けられそうなもの。んー苦しい。年明けの仕事始めを、少しでも前向きな気持ちで迎えたい。そんな思いもあった。

YouTubeによれば、ニットタイは基本的にかぎ針編みらしい。ま、小さなマフラーみたいなものだろう。たぶん棒針編み初心者でもできる。基本をおさえれば、かなり応用がきく。それも編み物のいいところ。

在宅ワークの日はパソコンの前で、作業が一区切りするたび10分から15分ほど編んだ。たばこを一服つけるようなものか。オンライン会議中も、こっそりと。カメラをオフにすれば大丈夫。“大丈夫”の定義はこの際考えない。

出社日や外回りの日は、隙を見つけてカフェに飛び込んだ。豆を挽く音や香りの中でコーヒー1杯分、編むことに没頭した。

表編み、裏編み、表編み、裏編み。メールやチャットをグッと堪えて、「今この編み目」に集中する。毛糸の優しい弾力。キリリと張ってはスッと消える、糸の緊張と緩和。鹿の子編みのつぶつぶ感。指先の気持ちよさだけがそこにあった。

これが効いた。ストレスが、たちまち沈下していった。

「昼休みに10分だけでも瞑想すると、午後の集中力が高まる」なんてことを聞いたことがあるが、それに似ているのかもしれない。ランチ後に瞑想なんかしたら、寝る。編み物ならその心配はない。

シンプルな手作業に意識を注ぐことで、多すぎる情報の重荷をいっとき下ろす。すると、メンタルが右へ左へグラつかなくなり、思考が再び軌道にのる。なんというか、集中力という自転車の乗り方を思い出した感じ。

目の前のことに集中しているつもりが、私は目先のことに囚われていただけ。仕事をサボって編んだからこそ、気づいたことだった。と、言い張ってみる。

結果として、商談でとっさの切り返しが早くなった。ロジカルな屁理屈。おそらく、アタマが混線しなくなったからだろう。書類の差し戻しも格段に減った。

さらに、「こっそり編み物オンライン会議」は意外とイケた、というのも発見だった。編み地を見つめることで視覚情報が減るぶん、耳が開くのかもしれない。メンバーの話が、とてもスムーズに頭に入ってきた。「ごめん。もう一回いい?」「最初のほうのアレ、なんつってたっけ?」そんな会話の巻き戻しがなくなった。いかに普段の私がメンバーの話を”聴いて”いなかったか。猛反省した。意外とイケた、とか言ってる場合じゃない。

もちろん仕事が終わった後も、晩酌代わりに編むわけで。一日中編んでいれば、ネクタイは着々と編み上がっていく。今年は、どれだけ頑張っても成果につながらないことばかりだった。業績不振なんて、その最たるもの。やれば必ずできていくという手応えが、私にとっては数少ない、確かな安心感だった。

赤いクマさんのメジャーで採寸しながら、ふと思う。ネクタイって、サイズ少ないよね。長さはスタンダードとロングの2つ程度。幅もレギュラーとナローくらいか。私が知らないだけかもしれないが、量販店に並んでいるのはどれも同じサイズに見える。

私は人よりデカい。とくに横幅。胴回りと腹回り。風呂上がりの私を、妻は

「昭和のプロレスラー」

と呼ぶ。つまり、よくあるネクタイは細くみえてしまう。自分で編もうと思ったのは、そんな理由もある。

ネクタイを締める人にはプロレスラー型もいれば、駅伝選手型もいるだろう。なのに皆、誰かの都合で誰かが決めた、誰かのサイズに合わせている。ネクタイの別名は、襟締(えりしめ)。体感的には、首絞めのほうがしっくりくる。

できかけのネクタイを首にかけて、鏡の前に立ってみる。このネクタイは私に合ってるか、息が詰まらないか。来年は働き方も編み直さないとヤバくないか。首からぶら下がったものを見つめながら、そんなことを思った。

働き方なんかより先に、編み直すものがあるのでは?ネクタイは、そんな悲惨な仕上がりだった。減らし目を急ぎすぎて、シルエットがスコップのようになってしまった。鹿の子編みもヨレヨレで、しかも穴だらけ。パッと見からして、くたびれきっている。やる気を感じられないネクタイ、というものを私は発明してしまった。

「今年のアンタやん」

鏡に飛び込んできた妻が、ボロキレを巻いた私を笑った。

「ま、いっか」

私も笑った。

できりゃいいってもんじゃない。簡単なだけでもない。失敗するときは、コテンパンに失敗する。それもまた編み物の面白いところ。編み物はときどき、自分で自分を笑いとばせる。そういえば。「ま、いっか」もまた、私が編み物で思い出したことの一つだった。

やっぱりネクタイは、かぎ針編みが向いている。来年はかぎ針にも挑戦してみようか。棒針よりも持ち歩きやすいし。正直、仕事中に編むあの背徳感が忘れられない。カメラの向こうから視線を感じるような。私は、会議が始まると編み物をしたくなる体質になってしまった。

生産性とやらも大事だけれど、きっと私なりの働き方なのだろう。これも「ま、いっか」ということにしておく。

ネクタイ、になりたかったもの。私は糸の色が好きだから、それで優勝ということにしておく

ネクタイ、になりたかったもの。私は糸の色が好きだから、それで優勝ということにしておく

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