45歳、一児の父。私が編み物をはじめた理由

45歳、一児の父。私が編み物をはじめた理由
草冠結太 2025.05.20
誰でも

編み物は、武器である。

いきなり物騒でスミマセン。私がそれを知ったのは、知人に勧められた「編むことは力」という本だった(ロレッタ・ナポリオーニ 著 佐久間裕美子 訳)。

編み物には、起源を遡れないほどの歴史があること。女性をはじめ差別・抑圧されてきた人々が、編むことによって逆境や権力と戦ってきたこと。それは現在も形を変えて続いていること。編み物の文化的、あるいは社会的な側面に驚き、同じページを何度も読みかえしてしまう一冊だった。

私はそこに、平和と愛と連帯と、生活を楽しむことを忘れなかった人々を感じた。生き抜くための市井の知恵と、DIY精神も。今や世界中でヤーン・ボミング(Yarn bombing:糸の爆弾)という、グラフィティにも通じるストリートアートも展開されているらしい。本を読み終わる頃、私はこう感じるようになっていた。

「編み物って、すげーヒップホップ的じゃん」

誤読だ。絶対に誤読だと分かっちゃいるけれど、誤読から始まる旅もある。編み物へのイメージを勝手に大きく変えた私は、編み棒と毛糸を手に取った。で、火が着いた。

編み物は、気持ちがいい。ドラッギーである、といっても過言ではない。棒の先端に毛糸を引っ掛け、狙った隙間へスーッと通す。指先たった数ミリの感触は繊細でありながら、鮮明な信号として脳へ伝わる。そこにはくすぐるような微震も混ざっていて、繰り返すうち甘やかに酔ってくる。ホントの話、私は酒量が大幅に減った。

指の動きは思っていたほど複雑ではなく、すぐに覚えられる。むしろ奥深いのは、力加減。肩に力が入れば糸は頑なになり、力を抜けば繰りやすくなる。無理なく編まれた目は美しいだけでなく、落ち着きのある手触りに仕上がる。つまりここでは、脱力こそ力。否応なきリラックス。

それに45歳、夫であり一児の父である私にとって、編み物をしている時間はそのまま、家族を思う時間でもある。妻のサイズに合うだろうか。娘の次の学期に間に合うだろうか。頭は空っぽになり、思いだけが満ちてゆく。マインドフルネスって、こういう感じなのかもしれない。

遠い記憶まで、蘇ってきた。ぎこちない自分の指を見つめながら思い出したのは、かつての父のこと。彼の指は、美しかった。

40年ちかく昔のある日。父はヒラヒラと手招きして、私と弟を仏間に呼んだ。そして正座でかしこまり、私と弟の手をとりながら、言った。

「パパは今日うちを出ていく。これから、お前たちと離れて暮らします」

細く長い指が、優しく力む。血が止まったかのように、冷たく湿っていた。

父はカーディーラーだった。小さな店で、小さく繁盛していた。酒屋がフランチャイズでコンビニになるように、整備会社が大手自動車メーカーの販売店になるということが、昔はよくあった。

彼はロックンローラーでもあった。ポマードでテッカテカにしたリーゼント、絞るようなダックテール、キャッツアイのサングラス。レザーのフライトジャケットを着込んだ彼に、よくドライブに連れて行ってもらった。ヤニとオーデコロンの匂いが、風に流されていく。夜のルート20で、彼に乗りこなせないクルマはなかった。バリっと仕事し、ビシっとキメて、お父さんじゃなくあくまで「パパ」。そこんとこヨロシク。ピカピカのキザでいられた時代の男。

父は私たち家族のために、マイホームを建てようとした。それが男の勲章だった。しかし、そこにかつての暴走族仲間がつけ込んだ。族からヤクザに”昇格”した連中からすれば、足抜けし所帯をもった父など隙だらけ。格好のカモ。今となっては何がどうしたものか分からずしまいだが、草冠家は筋の悪い借金を背負うことになった。ローンではなく、借金。差押えの赤い札が、結界のように凶々しく、家中の家財道具に貼られていた日を覚えている。

男らしく。男だから。男たるもの。そう生きてきた彼は、借金取りを一手に引き受け、母からの難詰に耐え、それでも言い訳せず、弱音を吐かなかった。しかし職場まで追われたことで、虚勢が決壊した。新しい仕事を探しながら、取り立てを我が家からかわすために、家を出る。そう言って、そのまま消息を断ったのだった。

父が蒸発した当時、私は8歳。今、私の娘が8歳。どこか良すぎるタイミングで今度は私が、少し追い詰められている。突発性難聴と抑うつ症状の診断書。過労による休職。営業チームのリーダーとして、夫として、父として。すべての「男らしさ」を引き受け続けているうちに、まずは鼓膜が、続いて心が、やはり決壊してしまった。誰かに頼ることを知らない。そんなところも、父と似ているのかもしれない。

だから、怖い。気を抜いていると彼に似てしまうという不安が、ずっと頭を離れない。「男らしさ」に潰された父と、潰されかけている自分が、どうしても重なってしまう。その「男らしさ」に抗う戦いに、編み物はとても手になじむ武器に思えた。

編み物といえば、女性に人気の趣味。正直、そう思い込んでいた。実際、手芸店へ行けば平日休日問わず、男性客は私だけ。手引き本もデザイン本も、おおよそ女性読者を想定しているように見える。私が読んでいる小学生の入門書なんて、もう完全に女児向けだ。

しかし、いざ編むという営為に没頭してみるとわかる。女らしいも、男らしくないも、そこにはない。大切な人が身に着けるに値するものを目指して、一目ひと目、無心に編み上げていくだけ。料理がそうであるように、編み物もまた、まったくのジェンダーレス。

ならば、これまで編み物をジェンダーの枠に閉じ込めてきたのは、誰だ?男が、いや「男らしさ」が、ここでも関係ありそうだ。じゃぁいったい「男らしさ」って何だ?誰の都合?誰が犠牲?

男らしくあれと躾けられ、強いられてきた。しかしそれに抗う方法は、誰も教えてくれなかった。そんな私にとって編み物は、ようやく「男らしさ」を疑ったり、破ったり、覆したりするための知的道具なのだと思う。かつて父がいた場所と、いま私のいる場所は、きっと毛糸一本分ほどしか隔たっていないのだろう。けれどその境界線は、編むことで太くできそうな気がする。

とか大袈裟なことを書いておきながら、実際やってることはチマチマと編み目を重ねていく、それだけ。地味なものだ。身長174cm・体重82kgの大型おじさんが猫背で、黙々と、そして延々とマフラーを編んでいく姿はほぼ、内向的な熊。見ていた妻が、「アンタらしいわ」と言った。

これから夏になるというのに、マフラー編んでます。冬までに上手くなる練習。Get ready 4 the future Tシャツ。

これから夏になるというのに、マフラー編んでます。冬までに上手くなる練習。Get ready 4 the future Tシャツ。


(おわり)

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