点字ブロックだけを頼りに出社ラッシュの新橋を歩いた話

点字ブロックだけを頼りに出社ラッシュの新橋を歩いた話
草冠結太 2025.09.25
誰でも

頭が沈み、見えなくなった。

朝の東京メトロ新橋駅は、通勤客の洪水が起こる。その濁流からひょっこり突き出たツーブロックヘアは、私が「のっぽだなぁ」と感心してる間に、改札を出たあたりでスッと消えたのだった。

「どこいった?」しゃがんでた。ずっと後ろにいた私からは、見えなかっただけだ。そりゃそうか。彼は壁際にうずくまり、靴ひもを直していた。首と肩で白杖を挟みながら。その顔の真横スレスレを、革靴やらスニーカーやらが猛進していく。

私は新橋通勤歴24年。多少の遠回りでは遅刻などしない。正しくは、遠回り関係なく遅刻してる。

「お手伝いすることありますか?」

彼の正面に回り、声をかけた。「あぁ助かります。はい。ありがたいです」そう言って立ち上がった彼のもみあげには、汗が垂れていた。見上げながら話をきけば、大江戸線の汐留駅まで行きたいという。道順はシンプル。距離もおそらく500m程度。楽勝。任せんしゃい。

「点字ブロックを辿っていただけますか?行き方おぼえたくて」

お、おお。そうきたか。ならば話は違ってくる。まず、汐留駅までの点字ブロック。絶対どこかで途切れてる。というか、意識したことない。どうする。しかも途中には、日本屈指の乗降者数を誇るJR新橋駅と、「新橋駅って何個あんの?」と混乱させる浅草線新橋駅を通過しないといけない。ちなみに新橋駅と名のつく駅は4つある。パニック。私は通勤リュックがズシッと重くなるのを感じた。

ともあれ、これも乗りかかった船。私は彼の大きな手を肩に載せ、2人で出社ラッシュへと漕ぎ出したのだった。

泥舟でした。とにかく人が多すぎて白杖を振れない。それどころか見える私ですら、手近な点字ブロックを探しあぐねる。

「まずは点字ブロックがどこにあるか、ですね」

スタートから早くも漂流。人流を掻き分け、なんとか点字ブロックにすがりついたと思ったら、

「あ。点字ブロックが終わってます」

早くもそこで途切れていた。

「階段じゃないですか?」

そのとおりだった。

白杖の先で段差を確認しながら、彼が解説してくれた。そもそも点字ブロックには二種類ある。進行方向を棒線で表す『誘導ブロック』。そして、止まって!要注意!をツブツブで表す『警告ブロック』。

「階段の前は警告ブロックで、そこでいったん途切れます。決まり事なんです。点字ブロックのついた階段ってないでしょ?」 

階段前のブロックは、そこで立ち止まり注意しながら進んでほしいというサイン。もし直前で足を止める視覚障害者の方がいても、それは安全確認なのだ。 

「まぁ、みんなあんま止まらないですけどね。危ないんで」

行くも危険、止まるも危険、ということか。

彼は点字ブロック一つから、多くの情報を読み取っていた。何が彼の道標になるか分からない。そこから私は、周囲の様子を実況しながら進むことにした。

「右手にドラッグストアがあります」

「ビニール袋の音がしますね」

「ここ左折です。まっすぐ行くと階段で地上に出ちゃいます」

「ちょっとモワっとしたのはそれですね。気をつけます」

「さっき右手にお店がありました」

「いい匂いがまだ追いかけてきますね」

彼は聴覚、触覚、嗅覚をフルに活用して歩いていた。視覚偏重の私なんかよりもずっと、空間を立体的に捉えられているのかもしれない。それってどんな世界なのか。彼とのおしゃべりは、私の想像を豊かに刺激してくれた。

とか言ってる場合ではなかった。現実が目の前に現れた。というか、襲ってきた。

「人が押し寄せてきます」

視界いっぱいのサラリーマンが、私たちめがけて歩いてくる。恐怖で汗が噴き出した。JR新橋駅の改札前にさしかかったのだった。

JR利用者のうちかなりの割合が、地下鉄に乗り換える。つまり、私たちとはまともにぶつかることになる。もちろん点字ブロックは伸びているが、気に掛ける人はいない。皆その上をわが物顔で歩く。いや、わが物顔で歩くならまだいい。歩きスマホ。自分の足元どころか前さえ見ずに、競歩のスピードでこちらに向かってくる。かたや私たちは、というか彼は、点字ブロックから30cmでもはぐれた瞬間に迷子になる。だから避けようがない。避けてもらうのを祈るしかない。高速道路の逆走車って、こんな恐怖なのだろうか。俺らは逆走してないけどな!

どの人も私たちなど存在しないかのように、正面衝突ギリギリで軌道を変えていく。驚く顔。睨む顔。呆れる顔。

「チッ」

「危ないだろ!」

声を荒らげる男性も女性もいた。危ないのはどっちだ。最初こそ腹が立っていたが、だんだん心がしょげていく。私たちはここを歩いてはいけない人間なのか?何隔離政策だよ。

「白杖を折られたこと、何回もあります」

そうこぼした彼の手が、私の肩から肘に移る。それくらい、私のシャツはグッショリしていた。怖さだけではない。歩きスマホをしていた、昨日までの自分にかいた冷や汗だった。

口の中をカラカラにしながらJR新橋駅を突破したと思ったら、今度は再びの階段だった。

「まもなく階段です」

「下りですか?」

「そうです」

よく分かったな。

「さっき上がったんで。下りはとくに要注意なんですよ」

まず、上る人は足元か正面を向いていることが多い。しかしそうなると、下りてくる白杖に気づかない。いきなり鼻先に白杖がニュッと現れても、避けきれるかどうか。

そして、下る人。追い抜き際に後ろからぶつかられても、手をついて受け身をとれない。そうなると、もう転げ落ちるしかない。下手すれば、顔面から。

「はい残り3段です。3・2・1」

慎重にスローダウンして降りきったすぐ背後で、誰かが踏みとどまる気配がした。

無事に階段を抜けた。ここまでくればこっちのもの。ひたすら真っ直ぐ進んだその先に、汐留駅がある。ゴールが見えた。日テレが近いせいか、頭の中でサライが流れる。24時間、好きじゃないけど。

・・・。サライ、ストップ。

点字ブロックが大きく迂回していた。そうだ。都営浅草線新橋駅があるんだった。これはつまり、通勤客の流れを横切らねばならない、ということだ。

「ここ、右折と左折、あります。いけます?」

「行きましょう」

気合入ってんな。なぜこの人混みを横断するのか。障害のない人から見たら迷惑千万だろう。不審者にすら見えるかもしれない。でも違う。私たちがとれるルートは、それしかないのだ。

こうなると、こちらからぶつかりに行く事態も回避しないといけない。防戦一方だったさっきまでとは違う対策が必要だった。しかし、私に出来ることなどたかが知れている。

「すいません!右に曲がりますっ!」

「すいません!左に曲がりますっ!」

大声で牽制するのが精一杯だった。

それでも、点字ブロックを曲がった時。角を探った白杖を、誰かの足が弾いていった。明らかに私をかわしながら。さっきまで居ないことにされていた私たちは、目立った途端、標的になった。

険しく苦々しい視線が身体中に突き刺さるのを感じながら、ようやく汐留駅に到着。

「着きましたー。右手が汐留駅です」

「すごい殺気でしたね。上野でもあれほどじゃなかったですよ」

比べられた上野もさぞ心外だろうが、とはいえ四半世紀近くも通った街がこれほど排他的だったとは、私も驚きだった。親しい知人の差別主義な一面を垣間見てしまった。いつかそれが自分にも向けられそうな、そんな薄気味悪さ。

「コース覚えられました?」

「んーたぶん。がんばって慣れます」

彼はいったいどれほどの理不尽に慣れながら生活しているのか。

「もうここで大丈夫です。本当にありがとうございました」

彼は朗らかに一礼して、駅に向かった。

視覚障害者の数は31万人。ロービジョンも含めると164万人。人口の1.3%だ。さっきの銀座線なら、1車両に1人以上はいる計算になる。つまり彼は「いるのが当たり前の人」のはず。なのに私は、彼のように満員電車に乗る視覚障害の方を、ほとんど見たことがない。

人混みの中を長身の彼が突き進んでいく。あんなに颯爽と歩く人だったのかと、私はしばらく見送っていた。

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