親子で体験した「目が見えない」の向こうがわ〜ノービジョン・ダンジョン冒険記〜

2024年のできごとです
草冠結太 2025.04.01
誰でも

「どこがゴールデンやねん」

妻がカレンダーに毒づいた。

春の大型連休。谷間の平日は有休奨励日とかいうやつで、正社員様はみな休み。そのシワよせは契約社員である妻にきて、彼女の眉間にも深いシワがよっていた。似たくないところほど似てくるのが夫婦。私も飛石連休だった。

とはいえ、腐っても連休。ふだん行けないところへ、娘を連れていきたいと思っていた。ハイシーズンの旅券に手が出ないわけじゃないが、断じてそうじゃないが、身近にだって知らない世界への扉は開いていたりするものだ。だから今年は、迷宮へ行くことにした。その名も「ノービジョン・ダンジョン」。直訳すると"視覚のない迷宮"。アイマスクと白杖をつかって、視覚障害を擬似体験してみるというワークショップだった。サブタイトルは「見えない世界で宝物を探そう!」。大型連休の小さな冒険。これは、娘を仲間に誘うしかない。参加無料だし。

「ちょっとダンジョン攻略しにいかない?」

今日ケンタッキーにしない?のノリで誘い出した娘の反応は

「ダンジョンってなに?」

だった。

しかし。彼女は体験後に

「レゴより面白かった。もう一回やりたい」

と言うことになる。もちろん私にとっても、実にワクワクする体験だった。

ワークショップがTBSのイベント「地球を笑顔にする広場」のプログラムだったということもあり、開催会場は東京・赤坂サカス。私たちがイベントスタジオへ到着したときには、すでに15人ほどの親子が鈴なりになっていた。どの子も順番待ちがじれったいのか、ピョンピョン跳ねたり、親にぶらさがったり。一目でわかるその盛況ぶりに

「予約してないんですけど、参加できますか?」

と聞いている人もいた。ワークショップというよりも、アトラクションの風景。娘の目の色が変わった。そう。これを期待していたのだ。楽しくなければ冒険じゃない。思い出に残らない。子どもにとって、ワクワクは正義だ。

15時30分。ワークショップがスタートした。まずは前口上。ジョニー氏と、ブラインドコミュニケーターの石井健介氏の二人が登場し、コースの特徴、攻略のポイントについて案内してくれる。ゴールには宝物が眠っているらしい。そして配られるアイマスクと白杖。白杖は子ども用だったのかもしれない。私が知っているものよりも、ずいぶん短く見えた。これが冒険の武器になるのか。聖剣エクスカリバーを高々と掲げる娘。

「はい。振り回しちゃダメです」

スタッフさんから注意された。そりゃそうだ。

「白杖は、鉛筆を持つみたいにすると感触が伝わりやすいかもしれません」

ガイドであるジョニー氏からのアドバイス。へー。たしかに歯ブラシも鉛筆持ちのほうが優しくタッチできる。それと似ているのだとしたら、白杖はわれわれが思っているよりも繊細なツールなのかもしれなかった。

我先にと息巻く小さな猛者たちをおさえ、冒険者第一号を勝ち取ったのは娘だった。渾身のチョキだった。ヘッドランプをつけるように、アイマスクを装着。無言で差し出された右手に、私は白杖を握らせた。あ・うんの呼吸。

「あ、その前に」

スタッフさんが割って入る。そして娘に、緑色の箱を二つ手渡した。

「これが宝物です」

「?」

両手に箱を持たされた娘は首を傾げた。シャカシャカシャカシャカ。振ってみても、それが何だかわからない。

わかるわけがなかった。二つの箱は、きのこの山とたけのこの里だった。

「あなたの宝物は、右手のきのこの山です」

スタッフさんの説明が続く。

「ゴールには、きのこの山とたけのこの里がたくさんはいった籠があるので、その中から”きのこの山”を選び出してください」

「あーそういうことか。え?どういうこと?」

娘が戸惑う。つまり、こういうことだった。右手にきのこの山、左手にたけのこの里。それぞれの箱から聞こえる音や指に伝わる振動の違いを頭に叩き込み、ゴールで選り分けられたらダンジョンクリア、だと。きのことたけのこが粉々になるくらいシェイクし続ける娘に、私は思わず聞いてしまった。

「音、違う?」

「ぜんぜんちがわない」

「振動は?」

「おなじ」

だよね。お父さんは、食べても違いがわからない自信がある。

「これ、違いあるんですか?」

無理ゲーじゃないのか?の剣幕で聞く私に、スタッフさんが答えてくれた。

「きのこは74g。たけのこは70gです」

末端価格の話でしか聞かない単位。やっぱ無理ゲーじゃねぇか。

「では、お父さんはあちらへ」

私は定位置へ追いやられ、娘は不条理に放り込まれた。不条理でないダンジョンなどあるのですか?と言わんばかりに。あくまで個人の感想です。

娘がきのこの箱を白杖に持ち替え、そろそろと足を踏み入れる。と言っても、お化け屋敷のようなセットが組まれているわけではない。教室くらいの平場に、点字ブロックに似たマットでコースが引かれているだけだ。いたってシンプル。その上を白状でなぞりながら辿っていくのだが、マットのか細さは、そのまま心細さに変わった。あそこから外れたら、どうやって軌道に戻るというのか。しかもダンジョンというだけあり、分かれ道あり、行き止まりあり、偽ゴールあり。騙す気満々のあみだくじ。たしかピラミッドの中は、墓荒らし撃退のためにこんな構造だったはずだ。

さらには、これは前半だけ。後半は一転し、パイプ椅子やクッションを避ける障害物ゾーンになる。今度はコースすらない。感覚だけで脳内VRを描き出し、ゴールを目指すのだ。前半と後半で、神経の使い方が明らかに違う。一回コツを掴めばあとは楽勝、というほど甘くはなさそうだった。娘が頼れるのは白杖と、遠くから叫ぶ私の指示のみ。これは無理。小二には絶対無理。私は

「にっちもさっちもいかなくなったら手を引いてあげてOK」

という切り札ルールを利用することも覚悟した。

文字通り手探りで進む娘に、私はサッカー監督の声量で指示を出す。

「右右右!!!」

「そうそうまっすぐ」

「そう左・・・そうそう。そう」

”そう”というだけのポッドと化した私の声はたちまち小さくなり、娘は歩みはどんどん力強くなっていく。父の予想に反して、いや意に反して、彼女は親を必要としていなかった。本当はこっそり見えてるんじゃないか?と疑うほどあっさりゴール。最後には

「これ!」

と大声で、きのこの山を引き当てた。わずか3分のスピード記録。アイマスクを剥いだその顔は、迷宮を攻略した笑みに満ちていた。

「つぎ、パパね」

白杖を手渡してくる娘。お前にこれができるか?と、明らかに父を挑発するニヤケ顔だった。

アイマスクで視界を塞ぎ、ダンジョンの入口に立つ私。逃げ場のない闇だった。娘よ、疑ってごめん。

「お父さんの宝物は、たけのこの里です」

一寸先から、スタッフさんの声がする。きのことたけのこを左右の耳元で振り、聴覚テストの集中力で違いを探る。たけのこの音は、ゴソゴソしている。しかも指に伝わる感触が少しザラザラしている。より大きな粒がぶつかりあっている。その点きのこはほぼ無音で、しかも振動が軽い。なんとなくわかる。これは、いける!

「右がたけのこですね?」

「そっちはきのこです、お父さん」

混乱。見えなくても、娘が私を指差して笑っているがわかった。

「パパーもーいーよー」

向こうから、娘の声が聞こえてきた。もういいかどうか決めるのはこっちなのだが、私は急かされるままにヨチヨチと歩き始める。鬼さんこちら、手の鳴る方へ。街で見かける白杖ユーザーの見よう見真似。白杖を左右にふって、マットの感触を辿っていく。杖の振り幅は、時計の10時から2時くらいだろうか。メトロノームをイメージして一定のリズムを刻んで歩く。徐々に、指先が敏感になる。会場の音が、ぐるり360度から聞こえてくる。その中をかいくぐって、

「ヒェッヒェッヒェッ」

という妻の笑い声が耳に届いた。あ。天井から反響してくる。音空間が2Dから3Dへ。いつもは使わない感覚が開いていくのがわかった。

そうは言っても、そこは付け焼き刃。分かれ道になると、もうお手上げ。娘がなぜあれほどまでに闊歩できたのか、まったく理解できなかった。定位置にいるはずの娘に助けを求める。

「おーい!これどっち行ったらいい?」

「まっすぐと、まがるところがある」

「分かってる。で、どっち行ったらいい?」

「じぶんできめて!」

ごもっとも。妻やスタッフさんたちの笑い声が聞こえた。こうなったら私も笑うしかない。

おっかなびっくり歩きながら気づいたのは、足元を気にして俯いていると、まっすぐ歩けないかもしれない、ということだった。たとえ見えなくても背筋を伸ばして、前を、遠くを向いて歩くこと。それがまっすぐ歩くコツなのかもしれなかった。(これが街中だったらどうなるんだ。駅だったら。自転車が隣をすり抜けて行ったら)怖い想像をいったんシャットアウトし、全身をセンサーにすることに集中するしかなかった。

満身創痍でゴールに辿り着く頃には、額と首周りが汗でじっとり。おそらく全長30mくらいか。しかし体感は3kmだった。妻が撮っていた動画を見せてよこした。直進と回転しか動きがない。なにかブツブツ言いながら、何もないところでハッと驚き立ちすくむ。歩幅や白杖は実感の半分程度で、ちょこちょことぼとぼ。全身全霊でビビっていた。

「あんたの性格よう出とったで」

どうやら妻のヒェッヒェッヒェッはこれだったらしい。

ちなみに。最後には見事にたけのこの里を引くことができた。私がきのこの山を持った時と、たけのこの里を持った時。妻の笑い声が微妙に変わると気づいたからだった。これもまた、全身センサーのなせる技だったのかもしれない。

親子でダンジョンから抜け出すと、隣のブースも盛況だった。レゴ社が出展しており、子どもたちはブロックのプールに浸かって遊び放題。しかもレゴのブーケを2つ作ったら、1つプレゼントされるというオマケ付き。子どもなら惹かれないはずがなかった。

「レゴ作れるけど行く?」

訪ねた私に、娘は即答した。

「ダンジョン、レゴより面白かった。もう一回やりたい」

レゴが物足りなく感じるほどの、刺激と想像力にあふれた迷宮。私は、一緒に来て良かったと思った。

帰宅後、娘がしきりに問いかけてきた。

「へやでぼうをつかわないときは、どうしてるんだろう」

「おふろでからだあらうとき、どうやってるんだろう」

目が見えないことは、目が見えないだけじゃない。その向こうには生活があり、私たちと地続きでつなかっている。どこかの誰かじゃない。友だちや、恋人や、家族や、自分自身ということもありえる。そんなリアルを想像することこそが、身体を使って体験する意味なのかもしれなかった。

そして彼女は布団に入ると、ひらめいたようにこう言った。

「めがみえないって、たのしいんじゃね?」

小二の想像力、大暴走。私は「いや、それは絶対」ない、と言いかけてやめた。絶対ない。そうかもね。どちらも、私が決めてかかるのは違うと思ったからだった。

「そのうち友だちができるかも。君だって見えなくなることがあるかもよ。その時に今日のこと思い出してよ」

と話をそらした私に、娘は

「んーたぶんわすれる」

ごもっとも。じゃ父ちゃんが覚えとくわ、などと言いながら、なぜあれほどスムーズにコースクリアできたのか、その秘密を教えてもらったところまで覚えているが、そこから先の記憶がない。たぶん私は、娘より先に眠りに落ちたのだった。いつ訪れたのかもわからない、安らかな暗転だった。

(おわり)

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