十家族十色でいい〜ドキュメンタリー映画「二十歳の息子」感想記〜

十家族十色でいい〜ドキュメンタリー映画「二十歳の息子」感想記〜
草冠結太 2025.01.12
誰でも

ドキュメンタリー映画は小説よりも奇なり

映画「二十歳の息子」。

はじめて知ったのは、東京にあるポレポレ東中野という映画館のサイトでした。映画の惹句は

ゲイの私が、父親になった

私の第一印象は「はいはい」。SOGIEを安易に設定に使う物語が好きになれません。しかし。この映画は違いました。続くリード文は、こう。

「父親」になったゲイの男性と、施設で育った「息子」。これは少し不思議な、普通と違った「家族」のドキュメンタリー

え?え?ドキュメンタリーなの?驚きました。そして、こちらがストーリー紹介。

児童養護施設等の子どもたちの自立支援団体で働く網谷勇気(40)。自身がゲイである彼は、様々なマイノリティのための団体を立ち上げ、講演会なども行っていた。ある日、彼は小さなアパートに引っ越し、一人の青年・渉(20)を迎え入れる。渉は、勇気がこれまで支援してきた子どもたちのうちの一人であったが、あるとき、事件を起こし拘置所に入れられてしまう。身の置き場を失った渉に対し、勇気は養子縁組をすることで、自らが父親となって共に暮らすことを申し出たのであった。幼少期より児童養護施設に預けられ、両親の顔も知らずに育った渉と、それまで家族をつくることを想定していなかった勇気。照れ臭さと緊張をにじませながら、二人の新たな共同生活が始まった。複雑な生い立ちを抱え、多感な年頃である渉との関わり方に勇気が戸惑うなか、生まれて初めて帰るべき家を手に入れた渉は、アルバイト生活を送りながら自身の夢へと動きだしたのだが…。

待て待て待て待て。これは絶対に観たい。やばい。あと1週間で東京での上映が終わってしまう。ということで、仕事の合間を無理矢理こじ開けて、つまりサボって観てきました(仕事をサボって観る映画ほど甘美なものはありませんね)。

サボって大正解。「二十歳の息子」はとても素晴らしい映画でした。性的少数者、社会的逆境に置かれた子どもや若者、人権問題、それらの支援や解決に取り組む団体などといった社会的見地から、家族、恋人、友情、信頼関係といったパーソナルな視点まで。実にいろいろな角度から鑑賞が可能な作品。そしてどのアプローチからでも、鋭く深く問いを突きつけてくる作品です。なのでここで少しご紹介したいと思います。この映画のファンとして、一人でも多くの人が観てくれることを願いながら。ネタバレは避けますが、どうしても少しだけ含みます。ご注意を。でも大丈夫。あらすじに真意のあるタイプの映画ではありません。

二人の関係の行間を読ませる、映像の力。

中心人物は、前章のストーリー紹介のとおり、養子縁組をした父・網谷勇気と息子・渉。勇気が渉を東京拘置所に迎えにいき、アパートで同居を始めるところから、映画も始まります。つまり本作は、二人の生活を追うことで展開していきます。もうドカドカ家に入っていきます。晩御飯とかも咀嚼音が聞こえそうなほど至近距離で撮り続けます。

しかし。本作は他人の私生活を窃視するような、劣情をあおるイヤラシサはありません。カラッとしてます。ゲイ男性、二十歳の青年。養子縁組をして共同生活。穿った見方をしようと思えば、どこまでも下衆な勘ぐりが可能な背景であるにも関わらず、です。それはもちろん、勇気と渉の人柄によるところが大きいのですが、私はもう一つ、本作のユニークネスによるところも大きいように感じました。それは、二人のインタビューがほどんとない、ということ。ドキュメンタリーの常套手段である人物インタビューがほとんどなく、ただただ淡々と、二人を客観的に撮り続けるのです。これによって、観客の意識が二人の間合いに集中するようになります。ふたりが何を考えてるか、よりも、どう立ち振る舞っているかに意識がいく。夕食をつつきあう、手探りの信頼関係。言葉少なに距離をとり、不思議と足並みはピッタリそろう夜の散歩。コンビニ前での一服。ちゃぶ台とキッチンで交わす、背中ごしの会話。

あえて居ずまい・佇まいに終始することで、二人の関係の行間を読ませている。映像ならではの雄弁さがそこにある。これぞドキュメンタリーの真骨頂なのではないでしょうか。

とはいえ、もちろん家庭内ばかり撮っている密室映画であるわけもなく。主軸を同居に置きつつも、補助線として勇気の社会人としての日常、渉の若者としてのライフスタイルも丹念に追います。彼らの家族、仲間、恋人、友だちまで。なんなら、渉が恋人に別れを告げるその現場もビッチリと撮り続けます。デリカシーゼロ。ドキュメンタリー作品かくあるべし、といえども、フラれた子には本当に酷ってもんです。やはりここでも、二人はおろか周囲の人からもインタビューはとらない。そのかわり、脇役一人ひとりを丁寧に撮ります。あたかも、そうすることで勇気と渉の輪郭を浮き彫りにしようとするかのように。

そういった点では、本作はかなり観客を突き放した映画とも言えると思います。あえて言葉で説明しないのですから。どんなメッセージが込められているか、映像だけで判断しろ。わからないやつは置いてけぼり、ということでもあるわけで。

しかし私はこのスタンスが、ことこの映画に関しては最高に効果を発揮していると感じました。なぜなら、勇気と渉の魅力は、指の間から落ちる水のように、言葉では掬いきれないと感じるからです。そしてそこから、いろいろな視点や解釈が呼び起こされるからです。

勇気の怒りが映画に熱を与える

言葉を排し、映像によってのみ集中させる。言うは易しで、本当にそれだけでは観客は退屈します。だって、勇気も渉も一般人ですから。スクリーンに映るものは一般人の日常にすぎません。つまらん。では、なぜに本作はそれほど目が離せないものになっているのか。私は、それが勇気の存在だと感じました。彼は一体、何者なのか?

勇気は、他者への想像力にあふれ、コミュニケーション能力も高そう。飄々としていながら、堂々としている一面も。知的なのに気さく、というのも好印象。「ちょい昔のIT長者ってこういう人多かったなー」と思ってたら、少しだけ当たってました。映画の公式サイトでは、勇気をこのように紹介しています。

1978年、東京都生まれ。情報サービス大手企業、ITベンチャー企業などを経て、現在は児童養護施設から社会に巣立つ子どもたちの自立支援に取り組むNPO法人「ブリッジフォースマイル」の職員。2014年、NPO法人「バブリング」を設立。"ひとごと"を"じぶんごと"として捉えるための仕掛けを提供している。

でもこれは、あくまで通り一遍のプロフィール。鑑賞中、私の頭の中は「?」ばかりでした。思考回路は「二十歳の息子を養えるなんてすごいな」という感心と「どうやってそれを実現できてるの?」の無限往復です。企業やお役所向けにセクシャルマイノリティ関連のセミナー講師をやったり、かと思えばバーのカウンターの中で接客したり。雑居ビルらしき事務所でミーティングすることもあれば、貸し会議室で仲間たちとワークショップの企画したり。とらえどころがない・・・。映画からわかるのは、勇気が好人物で、かつ切れ者であることだけ。あとは謎だらけ。このミステリアスさにグイグイひきこまれるのです。

ミステリアスといえば「勇気はなぜ、渉という二十歳の青年と養子縁組することに決めたのか」という疑問も当然あります。すべての行動に理由がつくわけではないとは知りつつも、やはり気になってしまいます。

前章で、本作をインタビューの”ほとんど”ない映画、と言いましたが、数少ない勇気のインタビューシーンの一つに「勇気と渉の出会い、渉をどう思っているか」がありました。そのインタビューで勇気は何を語ったか。重要なシーンなので、ぜひ本編で注目していただきたいのですが。

これとは別に、私は、勇気の本性が垣間見える、より重要なシーンがあると思いました。それは、NPOメンバーとワークショップの企画を協議するシーンでした。とある障害者殺害事件を、ワークショップのテーマとして扱うかどうか。事件のあまりの残虐性、非社会性、社会的影響の重さから、メンバーは逡巡します。しかし逃げ腰になる彼らに対し、勇気はこう言い放ちます。「俺たちはみんな、加害者。それを自覚してないやつは全員死ねばいいと思ってる」犯人だけが加害者なのではない。無知や無関心は歴とした暴力であり、われわれのすべてはそれに加担している。極端な言い方ではありますが、私はそういうメッセージとして受け取りました。グサッ。

怒り。勇気を突き動かすのは、怒りなのかもしれません。彼が渉と養子縁組したのも、それと無関係ではないように感じました。もちろん愛情や縁もあるのでしょうが、怒りがそれらに熱を与えているのではと。彼は時折、社会へ違和感を抱いてきた生い立ちを口にします。自身のゲイネスと関係付けながら。怒りの火元は、このあたりにあるように見えました。とはいえこれは、あくまで観客席からの実況にすぎません。勇気の人となりは、やはりとても複雑。私は結局、彼の多面性ばかり印象に残りました。ピュアな行動とは、しばしばそういうプリズムを伴うものなのかもしれません。人柄の焦点は定まらないのに、共感めいた感覚や、尊敬に近い感情を抱いたのもまた事実。とても不思議な鑑賞体験です。でも、勇気の描かれ方は、この映画のスタンスを象徴しているようにも感じられるのです。複雑なありようを、ありのままに。焦点を絞ることで、世界を見る解像度が下がってしまうこともある。分かりづらいことは、分かりづらいままで。だって、それが世界のリアルだから。確かなことただ一つ。熱や温もりによって切り拓かれる何かが、そこにある。確実に、ある。それだけ。複雑でありながら、同時に潔くもあるのです。そしてそれは、勇気と渉の関係に通じるものでもありました。

あっけないほどサッパリと。温もりが残る渉の旅立ち

公式パンフレット

公式パンフレット

渉の人となりも、勇気と同様、私にとって掴みづらいものでした。しかし勇気の場合とは、ちょっと質が違うような。渉は公式サイトでこのように紹介されています。

1998年生まれ。0歳で乳児院に入所し、その後児童養護施設に措置変更。両親の記憶は一切ない。幼少期は施設や里親に預けられるが、里親からの虐待、施設でのいじめなどを経験する。2018年、網谷勇気と養子縁組を行い、正式に家族となる。

これだけでもたいがいですが、劇中で彼が語る半生は、こんなもんじゃなかった。もっと紆余曲折あり、ハードで、クリミナルで、寄るべない生い立ちだったようです。劇中ではいろいろな人が、渉にこれまでのことを尋ねます。そりゃ新しい家族として、あるいは仲間として迎えるにあたり、聞いておくべきことは聞いておく、ということもあるでしょう。一歩踏み込まなければ、何かあった時に適切にサポートできない可能性もあります。渉もそれをわかって、拒むことなくオープンに、赤裸々に語るのですが。

彼が自身を語れば語るほど、語りきれないこと、語れないことの方が多いのだろうなと予感してしまうのです。彼の半生を根掘り葉掘り聞いたところで、安全地帯で生きてきたこちらの想像など、まったく及びもつかない。

想像の手が届かないから、距離を感じるし、そのぶん実在感も薄い。いたってよくいる若者の日常を映しているのは間違いないのですが、コンビニに行くついでに蒸発してしまうような、そんなまさかもありえそうな。勇気がプリズムなら、渉は深淵。ここが、勇気との違いに感じました。本当のことを語ることと、本音を語ることは、まったく違う。それは彼が生きづらい世間を凌ぐため、処世術として身につけたペルソナなのかもしれません。ハナから他人から理解してもらおうなんて思っていない可能性だってある。いや、その可能性はとても高いのではと。老いは孤独が連れてくる。だとしたら、もしかすると彼は周囲の年長者よりもずっと大人なんじゃなかろうか。

案の定、映画の終盤では渉の気配が感じられない部屋が映されます。勇気がカメラに向かって説明します。なんと唐突に、一人暮らしを始めたというのです。電話がかかってきて、ベッドはどこで買えるかと聞かれたこと。理由をきくと、一人暮らしをするから、と告げられたこと。聞いてないよと返すと”今言った”と返ってきたこと。

ま。二十歳の若者なんで、元気があってよろしい。飛躍は彼らの特権です。渉のシングルライフが充実することを祈るばかりなのですが。さすがにちょっと心配になります。

と、勇気が付け加えた補足に、私は胸を打たれました。ベッドは買わずに持って行けばいいじゃんと彼が言うと、渉は「いや帰った時どうすんの。寝るから」と。たしかそんなことだったと思います。そう。勇気は、渉の実家を作ることができていました。彼が帰ってくる場所を。勇気と渉には、いわずもがな血縁はありません。愛とか恋とか友情とか親愛とか責任とか、分かりやすい名前のつくものでもないでしょう。

しかし。この二人にしかない結びつき方がある。「お父さんらしく」「息子なんだから」という、誰かが決めた暗黙のロールプレイなどではない。お父さんではなく勇気であり、息子ではなく渉であり、そのまま一緒に生きていく。他人の解釈など歯の立たない、勇気と渉という個人名でしかつくれない家族のカタチです。私にもかつて、血のつながらない父親代わりの人がいました。彼は私を「結太」と呼び、可愛がってくれました。しかし私は「お父さん」と呼ぶ気になれず「おいちゃん」とごまかして呼び続け、結局そのまま別離を迎えました。家族ものの映画を見ると、今でもその時の気まずさが疼くのですが、幼かったかつての自分の頭を、この映画に撫でてもらったようが気もします。

私たちにある選択肢は多くありません。希望を持つこと、それを信じて行動を起こすこと。その二つだけ。二人の関係はまさにそれを体現しているものでした。私はなんだか尊い気持ちになりました。虹とか、流れ星とかに出くわしたような。誰かと生きていくきらめきを感じられる映画。観終わった後、世の中まんざらでもないのかもな、という希望がほの香ります。

ということで、長々と書き連ねましたが、未見の方は、ぜひ。2023年5月から上映が始まる映画館も各地にあります。どうやら上映館も増えているみたいです。一人でも多くの人に観られることを願ってやみません。

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