AIが編み図を描けなかった理由

AIが編み図を描けなかった理由
草冠結太 2026.10.29
誰でも

死ぬまでにこの目でいっぺん見たいもの、腹筋。

私にとっては、ウユニ塩湖より月面より、腰のくびれのほうが遠い。
腹回り91cm、体脂肪率24%。ダイエット効果が出ないまま、木枯らし一号が吹いてしまった。

セーターを編みたかった。オフホワイトのシンプルなやつ。
今年2着目の挑戦。前作はYouTubeの動画を観て編んだから、とても小さく編んでしまった。
妻いわく
「鏡餅やん」
ほぼ全身タイツ。
だから今回はちゃんと編み図を見ようと思っていたのだけれど。

書店に並ぶメンズセーターの本は、すべて上級者向けだった。凝ったデザインなのに編み図が載っておらず、簡単なメモ書き程度。
ならばと目先を変えた入門書は、レディースサイズのみ。
つまりセーターを覚えるのは女性で、腕を上げた女性が男性に編んであげる、というのが既定路線になっていた。
「自分でセーター編む男がココにいますよ」
私は無所属新人候補の声量で訴えたくなった。

これはきっと本のプロではなく、手芸のプロじゃなきゃ解決できない。
私は書店から手芸店に移り、店員さんに相談した。
「男物のセーターの本、ありますか」
「これまで編んだことは?」
「はい」
「あ。あるんですね」
あ。ってなんだ。
「でも本は初めてで」
「セーターの本って、簡単な説明だけのこと多いんですよねぇ」
どうやらあるあるらしい。Amazonで買わなくてよかった。

壁いっぱいに隙間なく立てられたニットブックたち。店員さんの手が最下段の左端へまっすぐ伸び、一冊を抜き取った。司書さんのようだった。
「これかな。編み図載ってますし、とくに何も書いてないので、女性サイズってことはないと思います」

日本ヴォーグ社の『増補改訂版 セーターの編み方ハンドブック』。
カバーを飾るセーターも、シンプルなのにディテールにシャレっ気がある。
こういうの探してました!新宿オカダヤ本店の店員さん、マジすごい。
「買ってきます?」
もちろん買ってきますとも。
私は新宿の母にお礼を言い、成功を約束された気分で家に持ち帰った。

約束は、破られるためにある。

私の腹回りからいって、LLサイズ。ダイエットを固く誓ってLサイズにしたところで、それなりに毛糸代がかさむ。
本に載っているオススメ品をまともに買うと、1万円くらい。既製服を超える高額を、失敗するかもしれない手編みに張り込む気合いまではなかった。スイマセン。なかったのはお金です。
やむなし。糸はセール品で。表面積の広い身体が、ますます恨めしい。

オススメ品とセール品。仕上がりにどんな差が生まれてしまうのか、試しに編んでみる。微差であれ微差であれ。
「やべ。ゲージぜんぜん違うじゃん」
編み物には、縦横10cmの中にどれくらい編み込めばいいかという標準密度がある。いわゆる「ゲージ」。本にもそれが載っているのだけれど、私の糸では目数も段数もかなり少なくなってしまった。私の祈りが誰かに届いたことはない。
このまま編むと小さくなってしまう?Lサイズにならないことだけはわかった。

糸の違いを計算して、編み図を書き換えなければならない。
フランス製の編み図AIというものを見つけたのだけれど、芸術の国だからなのか、芸術の国なのになのか。生成される図が大雑把。算数テストの「台形の面積を求めよ」みたいな感じ。
編み図作成ツールもあるにはあるが、私に扱えるシロモノじゃない。
もう頼れるのは、Chat GPTしかなかった。

糸の情報を打ち込み、最後に相談を加える。
「Lサイズを編みたいのですが、私のゲージで編むと寸法が変わるはずです。LLサイズに編めばいいですか」
「いいえ。目指すべきはLLサイズではなく、Sサイズです。しかし注意が必要です。Sサイズで編んでも大きくなりすぎる可能性があります」
マジか。ひとの相談に否定から入るヤツは信用ならないが、AIなら話は別だった。

私の糸では、お手本よりも目数と段数が“少なく”なってしまう。だから編み上がるものも“小さくなる”。そう思い込んでいた。
でも、そんなはずがなかった。少ない目数・段数で、同じ面積を編めるのだ。本の通りの数だけ編んだら“大きくなってしまう”に決まっている。
やっぱり算数苦手。金額は低くなるのに円高、の混乱を思い出した。

OK。小さく編め。それは分かった。
でも、何目何段編めばいいのか。方角じゃなくて地図が欲しい。
私は本を開き、ページの画像をChatGPTに渡した。
「これは編み図の画像です。これを参考にして、私用の編み図を作成してください。まずは袖からお願いします」
あくまで私的利用。著作権は問題ない。しかも会社のアカウントでやってるからモデル学習に流用される心配もない。今なんか別の問題が浮上した気がするけど、まぁいいや。

「編み図を作成しました。あなたの条件に合わせて、サイズや縫合部分を調整しています」
画像が生成されるまで、わずか1分そこそこ。仕事の資料から編み図まで、用途の広さと処理速度には驚かされる。

生成された画像をチェックして、また驚いた。
袖のシルエットが派手に波打っている。マンボの衣装かよ。
「まったく違います。どうしてこうなりましたか」
「申し訳ありません。これはゲージの違いによるものではなく、私の設計ミスです」
知ってます。

「袖はストレートです」
「これで縫い合わせられるの?」
「記号も書いてって言ったろ」
修正を何度も重ねるうちに、編み図は抽象画になってしまった。
あれ。もしかして。
「編み図を描けないの?」
「はい。申し訳ありませんが、今回のやり取りを振り返ると、私にとって編み図の作成は難易度の高い作業です」
なんと。

「理由は?」
「編み物の知識を持っていることと、正確な編み図を設計できることは別の能力だからです。編み図は見た目だけでなく、すべての記号と位置に意味を持つ技術情報で、プログラムに近いです。単純な掛け算だけでは完成しません」

「ビッグデータで学習してないの?」
「編み図の専門的なビッグデータをどの程度学習したかは、私自身にも分かりません。ただ、編み図の画像を数多く学習していたとしても、実際に編めることが検証された能力が十分に身についているとは限りません。編み図の理解と設計には差があるためです」
言い訳がやたら流暢なところに心を感じない。

「しかしPythonでコードを書けば実現可能で」
のところで、私は■のストップボタンを押した。
どうせ疲れるなら、編み物で疲れたかった。

「相談をシンプルにする。私が減らすべき目数と段数だけ教えて」
「袖の作り目は42目をおすすめします。段数は135段が目安です」
これで十分。あとは編みながら調整しよう。
私はChatGPTのアドバイスを、シャーペンで本に書き込んでいった。艶のあるコート紙が、優しく傷つくのを指先が感じる。

そういえば、さっきからスマホばかりいじってた。
編み物するときまでAIかよ。
私は画面を閉じ、毛糸と編み棒を手に取った。

先日、右袖が編み終わった。
フィット感はおよそ狙い通りではあるけれど、段数が少し足りなかった。本を見返し、メモを書き足しながら、今は左袖に取りかかっている。

書き込みばかりになった本にも、愛着が湧いてきた。余白に落書きしていた参考書を思い出す。
きっと私はこれからも、本を買い続けるのだろう。デカい男向けの入門書、出てくれないかな。

編み上がった右袖。こう見えて初作よりは上達してます

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