この夏できた友だちは、知的障害のある子たちだった。
先日閉幕したパラリンピック。実は、“障害者”スポーツの祭典とはいいきれない。
というのも全22競技中で、知的障害クラスがある競技は3つしかない。陸上、水泳、卓球だけ。これが冬季になるとゼロになる。
つまり、パラリンピックは“身体障害者”スポーツの祭典と呼ぶほうが実態に近い、ということだ。ま、知的障害者だからダメというわけじゃなく、身体障害との複合障害であれば参加対象になれるんだけど。ややこし。
それを私が知ったのはつい先日。知的障害のある子どもたちと、とあるきっかけで夏休みを一緒に過ごしたことからだった。
一緒に遊んでいれば、いろいろある。なんなら、いろいろばっかり。綺麗事は通じない。話せばわかるなんて、他人の空論。でも、だから、忘れられない夏になった。
旅行先でも、帰省先でも、塾の合宿でもいい。たまたま知り合った子と、手探りでひと夏だけの友だちになったことってないだろうか。小さな共通点を、いちいち運命に感じた。来年も会えると信じて、手を振って別れた。私はあのときめきを、再び教えてもらった。この歳になって、夏草の香りがする思い出ができるなんて、思いもよらなかった。
M(11歳)の電車体験
小5のMは地元の小学校に通っている。国語と算数だけは別プログラムをうけていて、放課後や週末はデイサービスを利用している。
Mは喜びを体全体で表現する。全身を震わせて、最大音量で。こういっちゃなんだが、蝉のようでかわゆい。
「電車乗るの初めてなんだぁぁぁ!たぁぁぁのしみぃぃぃ!」
無人駅のホームでヘッドバンギング。Mの雄叫びが山々にこだまする。そう。私とMは電車に乗って遊びに出かけた。ブルーの2両列車。たった一駅の大冒険。いくら車社会の地域とはいえ、11歳になるまで電車に乗ったことがないというのは、親御さんの気苦労がうかがえた。
私は存分に騒げばいいと思っていた。たかだか子ども一人が、それもたった一駅だけ、電車でテンションを上げる。それに眉をしかめるヤツがいるとしたら、そいつにこそ眉をひそめるを超えてメンチをきりたい。幸い私は、そこそこガタイがある。妻には
「昭和のレスラーみたいな体やな」
と言われる。ここで盾にならずに、どこで使うというのだ。レスラーは、攻撃を受けきってナンボ。
が、そうはならなかった。Mは乗車したとたんキョロキョロと車内を見回し、とある女性に目を留めると、トコトコと近づいた。そして
「ここ座れますよっ!」
と、空いている席を指差した。M!その人はたぶん、まだ、ギリギリ、お婆さんじゃない!おばさんとお婆さんの38度線を、無邪気にまたごうとするM。ガタイで回避できない展開。私は気が気ではなかった。
「あら。どうもありがとう。優しい子やな」
セーフ!!!マダムの御人徳に感謝。Mはこれがやりたかったのだ。お年寄りに席を譲る。大人の振る舞い。きっとMは、車内で大きな声を出すなんて考えてもいなかった。電車を降りる時。つないだMの手は、火照っていた。私は麦わら帽子のゴムを、Mの顎にかけなおした。
O(6歳)のハイタッチ
Oは6歳になるが、言葉はほとんど喋らない。単語をポツポツ。あとは喃語のような感じ。オムツもとれない。小学校ではなく、特別支援学校に通っている。よく食べ、よく寝て、よく走る。まだ短い手足を可動域いっぱいに使って、チョロQのスピードで駆けぬける。その日は、とある用事で地元のお寺へ。Oは本堂の引き戸をガタガタとこじ開けると、サンダルを放り脱いで弾丸ダッシュ。仏具の隙間をかいくぐり、ランニングホームランのスピードで周回を始めた。
「危ない!走っちゃダメ!」
一緒にいたお父さんの制止が、虚しく天井に響く。
お堂には仏像やら、上人の木像やらがひしめいている。どの手印もみな「おっす」とでもいうように、手の平をこちらに向けていた。それをOが見逃すはずがない。4速から1速にシフトダウンして、その一人ひとりにハイタッチしだした。軽やかに、丁寧に、フレンドリーに。ベンチに帰還したホームラン打者の風格すらあった。
「すみませんすみませんすみません」
慌ててOを追いかけるお父さんに、老和尚が言った。
「ひゃひゃ。転ばんように気ぃつけよ。仏さんはそんなことじゃ怒らんけん。ハイタッチされて喜んじょんわ。子どもなんて来んしな。ほれ、あぼたびぃ」
あぼたびぃとは、おまんじゅう食べな、という意味。流木のような腕が差し出したあぼを、Oはパン食い競走の加速でパクッといった。
用事を済ませ、お父さんと私が仏様に手を合わせた、その瞬間。
Oがピタリと足を止めた。そしてお父さんの正座に尻を下ろし、小さな手を合わせ、目を瞑った。寺に来て初めての静寂。扇風機の音とOの鼻息が、一定のリズムを刻む。
Oが自分からちゃんと座り、手まで合わせている。お父さんは信じられなかったらしい。「おぉ!」とこちらに向けてきた笑顔は、Oにそっくりだった。
しかし私は別のことを考えていた。仏様の掌に触れること。自分の両手を合わせること。それらは実は、相通じるものかもしれず。Oは自分が仏教の本質に触れていることに、気づいているのだろうか。まさかね。それにしても、聖みたいなヤツだな、と。
本堂を後にすると、私たちは夏の光と熱に包まれた。老眼はじまりの瞳孔にはキツい。Oはもう走り出さず、お父さんに抱っこをせがみ、その肩越しに手を振っていた。仏様たちに、バイバイ。阿弥陀如来が微笑みながら、手を振りかえしているように見えた。
T(12歳)のなぞなぞ
Tは、とにかく、ひったくる。本もお菓子も人形も。
「貸して」
「ちょうだい」
「使わせて」
その一言が出る前に腕が伸び、私が諦めるまでふんだくり続ける。これがスマホやゲーム機となると、破損をかけた死の綱引きに発展する。「コラ!」ママさんが声をあげても離しゃしない。しかも。自分のものは誰にも渡さない。
「貸さん。壊されるけん」
一人は嫌だけど、おもちゃは独占。草冠はそこで見とっちょくれ。それがTの遊び方だった。
いつもそんな調子だから、通っている小学校でもデイサービスでも、うまくいっていないらしい。学年が上がるたびに、友だちが減っていく。たった2クラスしかない分校なのに。
想像力の発育がゆっくりなのか。あるいはまだ幼児期の独占欲を残したままなのか。私は当初そう思い込んでいたが、違った。ゆっくり話をきいていると、Tが言った。
「だってみんなそうしてるやん」
笑顔を作りきれていなかった。
うちの子は、意地悪されていることに気づいていない。ママさんが言っていたが、きっとそれは間違いだ。知的障害があることで、どうしてもお友だちのペースについていけないことが多い。なにかと先を越されたり横取りされたり、敬遠されたりすることも多いのだろう。TはTなりに、サバイブしようとしていただけだった。地球は意地悪で回ってる。Tが生きている社会のルール。Tは何も悪くない、間違ってもいない。コラ!なんて怒られるのは、あんまりだ。
そこで私はTに、一つ提案をした。
「クイズを止めるな!ゲーム、やろうぜ」
そんなゲームはない。Tの部屋にあった真新しいなぞなぞ本が、目に入っただけだった。ルールは簡単。この本から、お互いになぞなぞを出し合う。本は一冊のみ。だから、かわりばんこ。それでどれだけ長くラリーできるか、記録を伸ばしていくゲーム。
「けっつまらん」
「最後まで聞け」
間違ったらストップ。そして「ひったくり」もお手つき。記録はそこまで、またゼロから。
「コツはな、貸して!って合図をおくること。ドッヂボールのパスっ!みたいにな」
「ドッヂ苦手やに」
「大丈夫。ボールじゃなくて本だから。乱暴に本を持ってかれたら、俺は悲しい」
「そんなん怒ることでもないやん」
そう言ったTに
「怒るんじゃないんだ。悲しいんだ。というか、誰かが乱暴だったら、Tだって怒っていいんだよ」
と解説すると
「まぁ付き合っちゃん」
話を切り上げやがった。最後まで聞いてもけっつまらん予感のまま、ゲームは始まった。
勝ちとか負けとか。あるいは、誰かが誰かの都合で決めた、やっていいとか悪いとか。ルールは、そういうツマラナイことのためにあるんじゃない。まして、君が悔しい思いをするためじゃない。誰かと楽しく過ごすためにルールはある。もちろんそこには君も入ってる。それを感じてほしかった。おじさんの置き土産みたいなもの。
果たして、Tは隠れた才能を発揮した。
「パンはパンでも食べられないパンはなんだ?」
「損保ジャパン!」(A.フライパン)
「偉そうなバッタは何をした?」「くたばった!」(A.いばった)
「地球でいちばん大きなしょっぱい水たまりってなーんだ?」「涙!」(A.海)
「前には進むけど、ぜったい後ろには戻らないものは何?」「ローン!」(A.時間)
親の影響が色濃い。私はゲラゲラ笑い、ママさんも「あんたそれ大喜利っちゅうんで」と目尻に皺をつくった。
鼻の下に汗の粒。ウケていることに、Tは得意げだった。ドンと私の胸に本を押し付けて
「パスやで!わからんこと多いけん、簡単なの出して!」
自分は他の子と少しだけ頭の動きが違うらしいということにも、Tは気づいていた。もし気づいていないことがあるとするなら、Tから見た世界はとても素敵だ、ということだった。私たちの笑いは、Tの気づきになれただろうか。Tは最後まで本をひったくることはなく、しょっちゅう不正解で記録を止めたのは私のほうだった。
この夏に出会った三人の子どもたち。パラリンピックに知的障害クラスがない理由の一つは、かつて知的障害を装ったヤツがいた、ということらしい。あの子たちの真似など、誰ができるものか。もちろん、三人のような子ばかりじゃない。それは分かってる。強度行動障害の子だったら、私はあれほど笑っていられただろうか。少し、いや、かなり自信がない。だから、障害は個性だなんて安易に言うつもりはない。
けれど彼らが彼らだったから、あの時間が、あんなに美しかったのは間違いない。前髪をはね上げる車窓の風。キラキラ揺れる金色の天蓋。一冊の本の可能性。三人と過ごした夏の風景は、去年よりもずっと鮮やかだった。
その後Mは路線バスに挑戦し、Oはあいかわらずで、Tは友だちとゲームをやりだしたらしい。あの答えの味わいが分かる同世代がいるというのが驚きだ。おじさんが帰っちゃって寂がってる、という声がまったく聞こえてこないのが寂しい。
本当に友だちになれたのかは、正直あやしい。だから来年も会いに行こう。来年と言わず、年末にでもおしかけようか。今日、もう蝉の声が聞こえなくなっていることに気づいた。冬はどんな景色が広がるだろう。
(おわり)
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