耳で観る彼と映画をみた日

耳で観る彼と映画をみた日
草冠結太 2025.07.30
誰でも

「ウソやろ。シャレになっとらんで・・・」

妻がテレビを見て呟いた。画面は参院選の速報番組だった。

まさかあの政党が。まさかあの候補者が。まさかあの選挙区が。とりわけ参政党が起こした「まさか」に、夫婦でひとしきり毒づきまくった後、妻が嘆いた。

「マック赤坂が懐かしいわ」

マック赤坂。今から10〜20年ほど昔、「スマイルで世界を変える」をスローガンにスマイル党を設立し、都知事選挙や国政選挙に挑戦を重ねた独立系候補。10度!20度!!30度!!!というお決まりのフレーズで有権者を笑わかしにかかる人、と言えば思い出す方もいるかもしれない。

「まさかこの人が当選なんて」と誰もが思い、毎度見事に落選する。私たちは、彼のなりふり構わぬ闘志と散りっぷりが好きで、プロレスラー的な美学すら見出していた。もし彼が「まさか」を起こしたとしても、呆れる人はいたろうが、今回のように怯える人はいなかったはずだ。

だから、彼の選挙活動を追ったドキュメンタリー映画『立候補』も、夫婦で観に行った。12年前、東京のポレポレ東中野というミニシアターだった。

映画館の前に着くと、妻が繋いだ私の手を離して、見知らぬ男性に声をかけた。

「大丈夫です?どちら行かれます?」

男性は入口のすぐそばで、近日上映のポスターを背に立ち尽くしている。大きな体を心持ちまるめて、手には白杖を握っていた。待ち合わせしてるだけかも、とかいっさい躊躇しないところが妻らしい。

彼は顔をあげて答えた。

「あのーここ映画館だと思うんですけど、どこから入るんですかね」

「え!?」の一声を、私はすんでのところで飲み込んだ。視覚に障害があっても、映画をご覧になるのか。

しかし妻は驚く素振りもなく、あらためて彼の正面に回りながら、人違いの可能性を度外視した大声でたずねた。

「もしかしてPさん?」

「え?あ。そうです」

当たり。今度は彼が驚く番だった。

「いつもラジオ聴いてます!」

彼は、妻が好きなラジオ番組の名物ハガキ職人だった。視覚に障害のある映画ファンとして、リスナーの間では有名人。カバンに貼ってあったロゴ入りステッカーで気づいたらしい。

「もしかしたら〜と思ったんよ。東京はホンマにいろんな人が歩いちょんなぁ」

大分の郊外から上京してきた妻は、芸能人にでも会ったように感激していた。

「『立候補』でしょ?ウチらも。一緒に入ろか」

彼女は声をかけるのも、タメ口になるのも早かった。

「うっわ」

Pさんの手を肩にのせた妻が、のけぞる。開けたドアの向こうは、熱気を感じるほど人で溢れかえっていた。映画館のある地下まで階段は大渋滞。踊り場では、入りたい人と出たい人がまともにぶつかり渦になっていた。これでは到底、白杖を振るどころではない。

「こらあかん。Pさん、牛歩でいくで」

そこから妻は一歩ずつ先導しながら、後ろのPさんに状況を伝えた。

「出る人が右がわ通るけん。ちょい左より」

「こっから階段やで」

「チラシの数がえげつねーな。壁一面チラシや」

「あと三段で階段終わります」

どうにか階段を下りきっても、ロビーは大混雑。チケットを買う人、パンフを吟味する人、トイレに向かう人、シアターから出る人と入場を待つ人。お互いの息がかかりそうなワッショイ状態に、さっきより身動きが取れなくなっていた。360度をぐるりと囲むような喧騒で、お互いの声も聞こえづらい。

すると妻が

「ちょっといいですか?」

と、Pさんの手を私の肩に乗せ替えた。そして自分はPさんの隣につきなおし、彼の耳に向かって再び話し始めた。

「東京のミニシアターは小洒落とるな。私もここ初めてなんよ」

「チケット現金だけやね。お財布だしといたほうがええで」

「トイレあっちか。Pさんどうします?結太頼むわ」

彼女はそのまま私を操縦して、Pさんを席まで送り届けた。

そして、最後に聞いた。

「終わったら、また一緒に出ます?」

Pさんは「あー助かります。リスナー仲間っていいなぁ」と笑っていた。私は、ほんの10分そこそこの道連れが、ずいぶんと長い付き合いのように感じられた。

あの映画のラストは、今でも忘れない。マック赤坂氏の選挙活動を否定していた息子が、父親の街頭演説に立ち会う。容赦なくぶつけられる罵声に対し、息子はどんな言葉を返したのか。「あなたはまだ、負けてすらいない」という映画の惹句が、彼の叫びに呼応する。

あれは私が知る限り、マック赤坂氏が起こした唯一の「まさか」だった。まさか、泣かされるとは。妻も私も、笑ってしまうくらい涙が止まらなかった。そして、Pさんも泣いていた。客電がついてもハンカチが忙しい。少しの間、妻と私は彼を遠巻きに待った。

映画館から出ると、Pさんに誘われ真隣のカフェに入った。コーヒー豆を挽く香りが芳しい。なんてことにはお構いなく、三人揃ってビールを注文する。いい映画と冷えたビール。涙で失った水分を取り戻すような乾杯だった。

そして感想戦。彼はとても正確に、それどころか高精細に映画を鑑賞していた。

「マック赤坂って地声がよく響くんですよね。外でも地下でもよく通る」

「街頭でボコボコにヤジられるシーンも怖かったですけど、ヤジさえないのもそれはそれで怖い」

「最後に怒ってた息子さん。声が震えてたっぽく聞こえたの僕だけですかね」

私たちは、見ていただけで、見えていなかったことの多さに愕然とした。候補者や有権者の肉声が、選挙を熱くする。つまり『立候補』は声と言葉の映画であったと、私と妻は気付かされた。作品に思わぬ光を当てていくPさんに驚きながら、私たちは夜遅くまで何本もビールを空けた。

あの頃、音声ガイドのついた映画ってどのくらいあったのだろう。少なくとも、Pさんと見た『立候補』にはついてなかったはずだ。今更ながら、彼の"聴"賞力には畏敬を感じる。

あれから12年。私はこの夏から、映画の音声ガイドの作成講座に通うことにした。視覚に障害がある人でも楽しめるよう、視覚情報をナレーションで補う。その台本を書く。事前講習の資料には「視覚に障害のある方と、映画の世界を一緒に歩くように」とあった。あの日の妻がヒントになるような気がしている。

人を線引きしたがる社会。これまでもそうだったと言われればそうなのだけれど、その線が増え、しかも太くなりそうな胸騒ぎがする。明日、新しい線が引かれ、新たな標的がその向こうに追いやられるかもしれない。それはPさんかも、妻かも、私かもしれない。

でも、だからこそ。映画館は、嬉しい「まさか」が似合う場所であってほしい。「一緒に入ろか」と言える場所であってほしい。いつか私の作った音声ガイドが、Pさんを楽しませる日が来るといいな。

ちなみに。『立候補』は今でも各種の配信サービスで観られるらしいので、ご興味のある方はぜひ。

(終わり)最後まで読んでいただきありがとうございました。よろしければこちらもご一読ください。

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