娘と音声ガイドで映画鑑賞して気づいたこと

娘と音声ガイドで映画鑑賞して気づいたこと
草冠結太 2025.08.19
誰でも

「パパ死んでるの?」

娘が私の顔を覗きこんできた。死んでたらめんどい。そんな口ぶりだった。

小三に上がり、娘はあからさまに父親である私を煙たがるようになった。いないで。こないで。喋らないで。そんな彼女が私に興味を示すなんて珍しい。

たしかに、その時の私は不気味だった。目を閉じたまま、じっとソファで動かない。耳には、スマホから伸びたイヤホン。目も耳も塞いでるのに、テレビでは映画を流しっぱなし。一体なにしてるの?

私は即神仏のような姿勢のまま答えた。

「映画館でスマホを使う練習をしている」

彼女が「え?」と戸惑ったのが、気配でわかった。

正しくは、映画の音声ガイドを聞き取る練習だった。音声ガイドとは、視覚に障害のある人も映画を楽しめるよう、視覚情報を言葉で補うナレーションのこと。登場人物の表情や動き、風景、場面転換などを、セリフや効果音の合間を縫って短く伝える。私はこの夏から音声ガイドの制作講座に通い始め、その日は過去作の勉強をしていたのだった。

イヤホンの片方を娘に差し出し、

「聴く?」

と、誘ってみる。しかし、彼女はウゲッと顔をしかめて子ども部屋に駆け込んだ。ですよね。やっぱりフラれた。

と思いきや、自分のイヤホンを持って戻ってきた。

「パパが使ったのヤダ」

いや、これも片っぽお父さんの耳の穴に入るけど、いいんですか?とは確認しなかった。興味本位でいい。せっかく乗り気になったのだ。これを機に、映画館でスマホを必要とする人のことを知ってほしかった。常識にアップデートはつきもの。これもまた夏休みの勉強のうち。娘がイヤホンをスマホに挿し、二人で右耳と左耳に分けて着けた。

まずは音声ガイド用アプリ「UDCast」に、音声データをダウンロードする必要がある。娘はあっけないほどスムーズに『映画ドラえもん のび太の宝島』を端末に落とした。小三でも使いやすいアプリ。とはいえ、作品リストは長大だったはずだ。これが視覚に障害のある方だったら、と想像すると、一筋縄ではいかないのではないか。

娘がじっとスマホを見つめる。

「・・・何も聴こえないじゃん!」

待て待て待て。いつからそんなに結論を急ぐようになった。

このアプリは本来、映画館で使うもの。映画からの音をマイクが拾うと、ガイドが自動的にスタートする仕組みになっている。逆に言えば、音声ガイドを聞くには、映画を流す必要がある。今回は勉強のためにサブスクの映画で代用するんだから、ちょっとだけ準備させて。私は急いで「音声ガイドを始める」ボタンをタップしつつ、テレビのリモコンで『映画ドラえもん のび太の宝島』を再生した。すると。

”進む帆船。見張り台にいるスネ夫”

男性の優しい声で、ナレーションが始まった。

「本当に聞こえた!」

疑ってたんかい。でもまぁ、そりゃそうか。耳で映画を見たことがないのだ。それがどういうものか、想像できないよね。娘は早くもクライマックスの興奮を迎えていた。ドラえもん、まだ出てきてない。

そこから私は目を閉じ、すべての感覚を「聞く」の一点に集中した。娘ははなから目をつむることを諦め、画面をまっすぐ見つめていた。「だって寝ちゃうから」とのことだった。

テレビのスピーカーから台詞や効果音、歌など、映画に組み込まれた音が流れる。そして、イヤホンからは場面描写が聞こえてくる。映画本編を邪魔しない、絶妙なタイミングと尺だった。

”真っ暗な空から放射線が降り注ぐ”

ホウシャセンって何?と訪ねる娘に、あとで教える!と答える。8月は学ぶことが多い。

”のび太、震える膝を押さえる。穴に落ちていく”

あれ落ちてたの?吸い込まれたんじゃなくて?と娘が隣でつぶやいていた。音声ガイドあってよかったじゃん。

“フロックとセーラが手をふりながら方舟の先まで行き敬礼する”

敬礼って知ってるよと、娘は得意気だった。ラストシーンでセリフを抑えたぶん、ガイドも詳しめ。泣かせ所でもあったはずで、娘はまんまと泣いていた。

観終わって、娘が感想をもらした。

「これあったほうが分かりやすい」

おそらくバラエティ番組やYouTubeなどの影響もあるのだろう。テロップに慣れた彼女は、言葉による補足があった方が理解しやすいようだった。

たしかに、ガイドは簡潔で的確だった。イメージの空白が埋まり、頭の中で映画を組み上げることができた。耳にストレスを感じることもなく、想像が心地よくドライブする。興を削がずに、言葉で観客を惹きつけ続けるという点で、読書に似ているような気もした。

読書に似ているといえば、自分が物語の中にいるような感覚、というところも似ていた。ストーリー世界に飛び込んで、登場人物たちの冒険に立ち会う、あの感じ。だから音声ガイドには、顔がアップになる、涙がスローで飛び散る、などの演出的な描写はほとんどなかった。そういえば、スクリーンという四角い枠を意識せずに映画を見たのは初めてかもしれない。最近話題の「イマーシブ(没入的)」って、こういうことなのだろうか。

しかし一方で、私にはまだ難しいと感じる局面もあった。まず、登場人物の声を聞き分けられない。とくに少女の声は、しずかちゃんなのかセーラなのか、しばしば分からなくなった。声を聞き分けるには、習熟が必要そうだった。

さらに。戦闘や逃走といった展開の早い場面では、音声ガイドが入る隙がない。場面を想像しているうちに次のシーンへ移っていることも、ままあった。え?なになに?何が起きてる?

そうなると集中が途切れる。耳がよそ見して、ガイドからはぐれがちになる。ポツンと迷子になるのは心細く、仲間はずれにされているような気さえした。今まで感じたことのない質の疎外感。もしかして、視覚に障害のある方が日常的に経験していることって、これに通じるものがあるのかな。

逆に言えば、音声ガイドユーザーはそれだけの技術と集中力をもって鑑賞に臨んでいる、ということでもある。映画にかける情熱では、私はきっとかなわないだろう。

「ドラえもんの映画ってことは、子どもも使うの?」

次のドラえもんをダウンロードしながら、娘がきいてきた。私は怯みながら、なんとか返す。

「あーうん。そういうことになるね。目の見えない子も使うはず」

不意をつかれたのだった。私は何の疑いもなく、音声ガイドユーザーといえば大人を思い浮かべていた。でもそれは間違い。当然、子どもも使うのだ。

「これ使うのがもっと普通になればいいのにね」

そういえば、目の見えない同世代の子を映画館で見かけたことがない。それに彼女は気づいたのだった。

今までの自分には見えていなかったものを、鋭く、素早く、娘は感じ取った。軽やかに“普通”を更新していく彼女には、私なんかよりもずっと多くのものが見えているのだろう。教えられたのは、私のほうだった。

もし彼女がそのまなざしで音声ガイドを作ったら、きっと素敵なものになるんだろうな。そんなことを思いながら、私は新しいドラえもんを再生した。

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