公園でチョッキを編んでたら
公園での編み物が気持ち良い。
いわゆるアウトドア編み物。そんな「いわゆる」ないけど。
遊ぶ子どもを気にしながら、木陰のベンチでする編み物は、夏風の香りがする。これだけ暑いと蚊も飛んでないし。
それともう一つ嬉しいことが。
意外と人から話しかけられるのだ。わざわざ公園で編み物をするヤツは珍しい。それがオジサンなら、なお珍しい。でも編み物してるくらいだから怖い人じゃないだろう。そんなところか。
ママさん。学生さん。キッズ。おばあさま。おばあさま。おばあさま。女性ばかりではあるのだけれど、ときどき声をかけられる。
その日も、蝉の合唱を遮って、涼しげな甲高い声が聞こえた。
「なに編んでんの?」
毛糸から目を上げると、少女が私の手元をのぞき込んでいる。近っ。
歳の頃は小3か小4。うちの娘と同じくらい。GUだかユニクロだかのノースリーブとショートパンツで、手足も元気も丸出し。全身が汗で光っている。日焼けしまくっている子どもたちの中でも、ひときわ深い褐色の肌。子どものカーリーヘアーって、どうしてあんなにキラキラしてるんだろう。挨拶もなしに笑いかけてくるその表情が、天使級の人懐こさを物語っていた。
編み物に興味がおありですか?よくぞ聞いてくれました。子どもの好奇心に全力で応えるのは大人の礼儀。そこに国境はない。私は張り切りまくって笑顔を作り、編み地をバッと広げて答えた。
「Yes!Vest!」
もちろんVは下唇を噛んでヴ。しかし彼女は
「あ〜チョッキね」
・・・日本語だった。
思わず編み地で顔を覆ったのは、暑さのせいではなかった。ごめんなさい。見た目で決めつけてしまった。無礼を許してほしい。いや無礼どころじゃない。傷つけてしまったかもしれない。今この瞬間も成長している心を。
さっき「なに編んでんの?」って言ってたじゃないか。彼女の母語もしくは母国語は、日本語なのかもしれなかった。というか、たぶんそうだった。
日本語わからないでしょ?つまりそういうこと。彼女にとって、私はいったい何人目の「悪意なきルッキスト」なのか。申し訳なくて、情けなくて、自分が腹立たしかった。Yes!じゃねえよ。バカにするなよ。
しかし反省は後回し。まずは謝罪だ。そこは大人の、以前に、人としての礼儀だ。
「ごめんなさい!おじさん、とんでもなく失礼なことをしてしまった」
手を合わせながら頭を下げる。拝むような格好になってしまった。
「うん。大丈夫ですよ」
彼女は手のひらをパタパタと振りながら、さっきと変わらない笑顔で許してくれた。その慣れた様子に、私はまた泣きたくなった。
そんなことより、という顔で少女がきいてくる。
「毛糸、暑くないの?」
「いやいや、こんな暑い季節に着ないし。というか見ての通りまだまだ編み上がらないんだよね。なかなか進まないんだこれが」
私は取り繕うようにしゃべり続けた。その間ずっと編み物に目を落としていた。顔を向けられない。彼女のどこを見つめても、視線の刃になるんじゃないか。うつむく首が陽に灼かれ、汗が垂れる。
すると。頭上から別の声が降ってきた。
「なになに???」
カブトムシでも捕まえた?みたいな大声量。ビクッと見上げると、少女のママだとすぐに分かった。母娘でそっくり。白のキャップと白のスニーカーが、どちらも容赦なく泥ハネだらけ。子どもとバリバリ遊ぶタイプの、かっこいいお母さんだった。
ママさんは私の手元を見るなり、続けた。
「わぁ!フランス式ですか?アメリカ式ですか?」
大きな笑顔に、私は心が一気にほぐれた。この人、編み物の先輩だ。フランス式とアメリカ式とは、棒針編みの種類のこと。しかし、私はその違いを知らない。ママさんが私より編み物に詳しいことは間違いなかった。娘さんが私に話しかけてくれたのは、ママの影響だったか。
「僕、初心者なんです。フランス式とアメリカ式ってどう違うんですか?」
私は尻をずらしてベンチのスペースを空けた。隣に腰を下ろしたママさんの、甘いフレグランスにドキッとする。
彼女いわく、二つの違いは指の使い方。フランス式は左指で糸を持ち、すくうように編む。アメリカ式は右指で糸を持ち、引っ掛けるようにして編む。ややこし。
ちなみに、フランス式とアメリカ式は、英語でContinental styleとEnglish styleというらしい。え?本名は大陸式と英国式なの?ますますややこし。
彼女は私の手の動きをじっと観察した。見つめられた指がドギマギする。そして
「えーそれはたぶんフランス式ですね」
と教えてくれた。
「私のおばあちゃんもフランス式でした。懐かしい」
そこからファミリーヒストリーが始まった。
そもそも彼女のひいおばあさんは、仏領ギアナの人だった。仏領ギアナはその名の通り、フランスの影響が強い。公用語もフランス語。だからひいおばあさんの編み物も、フランス式だった。私はといえば、たまたまお手本にした動画がフランス式だっただけ。年季が違う。
ひいおばあさんはアメリカに移り住んだけれど、編み物は故郷のままだった。それを娘たちが受け継いでいく。ママさんの編み物師匠であるおばあちゃんも、その一人だった。
「私が挫折したので、伝統が途切れちゃったんですけどね」
犯人、と自分を指さしながら、ママさんはハハハと笑った。
彼女のおばあちゃんは、クリスマスになるとセーターを編んでくれたという。でも孫たちは成長するにつれ、誰も着たがらなくなった。
“あの”セーターにこんな技術と時間をかけていたのか、と知った瞬間。彼女は自分には向いてないと悟ったらしい。
「編み物ってめっちゃ時間かかるじゃないですか」
「はい。かかりますね」
「子育てしながらいつやってるんですか?」
「今。炎天下で。あはは」
「ははは!」
ひいおばあさんということは、ご存命なら100歳超え。私の記憶が確かなら、一世紀前のアメリカでは黒人差別が拡大していたはず。たしか移民も制限していたような。南米からの人がどうだったかまでは覚えていないが、いずれにせよ生きやすかったはずがない。つい今の日本と重ねてしまう。
そんなことを考えながら、私はずっとガーター編みを続けていた。彼女の視線は子どもを追っていた。目を合わせないからこそ話せることがある、聞けることがある。スマホだったらこうはいかないだろう。編み物は不思議だ。
そこから、夏休み中の子どもをどう遊ばせるか問題が始まり、エアコン代が高い野菜が高い旅費も高いとグチに変わり、うちの子はヒマしているのに宿題だけは頑なにやらないという人類普遍の難問に発展し、再び子ども遊ばせ問題に戻る、というのを3周くらいした後、最終的に娘同士が同じ小学校だったことが判明した。なーんだ、娘の先輩じゃん。先輩一家じゃん。
編み物発、仏領ギアナ・アメリカ経由、ご近所着。私たちは、遠路はるばる奇跡的に出会った、どこにでもいる保護者仲間だった。
公園のスピーカーが、割れた音でチャイムを流した。17時。ぼちぼち帰りますか。バイバイ。それでは。さよなら。またね。
帰り道、娘に聞いてみた。
「10月、運動会あんじゃん?そんときまた会えるかな」
「忘れてんじゃない?」
「チョッキ着てったら思い出すかな」
「やめて。ダサいから」
編んでる人に編んでる途中でダサいとか言っちゃダメだから!
そのダサいチョッキがこちらです。

やっとできた後身頃。できて気づいたサイズミス。明らかに横幅が広すぎる。これに前身頃も合わせなくてはならない・・・。
でもいいんだ。このダサさも味のうち。あの母娘なら、きっと笑ってくれる。
秋の運動会までに絶対に完成させて、必ず着ていってやる。
今日も私はフランス式で編み続けている。
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