同性婚から見えてくる、誰かと手をつないで生きていくということ

2024年のできごとです
草冠結太 2025.03.26
誰でも

今月からメンタルクリニックに通い出した。いきなりスミマセン。とはいえ、今どきそれほど珍しい話でもないだろう。脳みそだって内臓だ。人間40年以上も生きてれば、一回くらい心が腹痛を起こしてもおかしくはない。最大要因は仕事のストレス。そこに家事の負担が追い討ちになって、コップがいっぱいに。娘に辛く当たり始めてしまった。これはマズいと、病院に駆け込んだ次第。

そんなときに限って、結婚や家族をテーマにした作品やイベントに立て続けに出くわすのだから皮肉なものだ。出くわすもなにも自分でチケット取ったんだけど。でもなんだか、それ以上の巡り合わせを感じた。

一つ目は、1月19日の渋谷ジェンダー映画祭。その日は「ジェンダー・マリアージュ」という作品が上映された。

2015年6月に、全州で同性婚が認められたアメリカ。そこに至るまでの、5年以上にわたるドキュメンタリーだった。原告、被告、両者の弁護士。賛成する人、反対する人。すべての登場人物がマンガ以上のキャラ立ちで、法廷劇としてのスリルと、ヒューマンドラマとしての大河性を持ち合わせた大作だった。「そういえばこれ、誰が作ったの?なんで作ったの?なんでこんなに現場に入れたの?」そんな視点で見ると、さらに一段深読みできるところも興味深かった。映画祭では、上映後にトークセッションも。この日の登壇者は、「ふたりぱぱ」というYouTubeを運営している役者のみっつんさん。子どもが欲しかったり育児中だったりするセクシュアル・マイノリティの方々を支援する一般社団法人こどまっぷの運営者のお二人(長村さと子さんと茂田まみこさん)。そして副区長、という顔ぶれだった。トークの内容は、当事者から見た日本のファミリーシップ制度についての利点や不足点。海外との比較など。副区長は「結婚って、行政がとやかくいうものじゃないと、個人的には思っている」とバッサリ。もちろん、いい意味で。結婚って個人の自由でしょ?と。なんとも気風のいい副区長だこと。そして翌日。観に行ったのが「ジャンプ、ダーリン」という映画。

俳優からドラァグ・クイーンに転身した若者が、祖母と暮らすことになる、という話。生き方に迷っている若者と、自由でありながら筋の通ったおばあさん。ぎこちない共同暮らしを通して、二人に変化が生まれていく。はてさて、彼と彼女の生き方はどこに向かうのか、というお話。

ドキュメンタリー映画、実体験、劇映画。まったくバラバラな物語たちに共通しているのは、もちろん家族というテーマ。なのだけれど、それだけじゃなくて。自分らしく、自分たちらしく生きるための結婚や家族。それが本当のテーマだったように思う。

もちろん私は同性婚に賛成。普通にいる人が普通に幸せになれない社会なんておかしいという義憤に近い感情と、他人様のお家に口を出すべきじゃないという遠巻きな姿勢と、幸福追求権は平等なんだから婚姻も平等にしろよというドライな理屈っぽさがないまぜになっている。そしてもう一つ。他人のことに口を出す図々しい人たちとか、自分の機嫌を保つために他人を犠牲にしたい人たち。そんな傲慢な人々がのさばってる世の中が生きづらくてしょうがない、という鬱屈も。

映画を観てわかったのは、「性のあり方を変えれば、家族のかたちが変わる」「結婚は妊娠や出産のためにするもの」とかいう人はどこの国にもいるらしい、ということ。やっぱりね。そしてこれに反証でも示そうものなら「コドモガカワイソウ」などと、架空の弱者を代弁しはじめるのも一緒。やっぱりやっぱりね。ほほう。SOGIEにとらわれないご家庭のコドモがここにいますが?と。こちとら母親の彼氏はトランス男性だったが、一緒に暮らしてもカワイソウなことなど一つも起きなかったですが?と。

たぶん、だけれど。そういう人たちは、結婚や家族について自分で考え、自ら選んでこなかった人たちなんじゃなかろうか。人生のベルトコンベアーの先にある結婚や家族。誰かが誰かの都合で決めた、”常識”や”普通”、"当たり前"という流れにのっていくだけ。そもそもを問うことのない、実質的な思考停止だ。じゃぁ、その”そもそも”って何だろう。それはきっと、自分が自分らしく生きるということだ。自分の好きな人の、その人らしさを愛でながら生きるということだ。そう考えると同性婚に反対する人たちの多くは、自分らしさや自分たちらしさについて考えてこなかった人たちなのかもしれない。自分らしさを、男らしさや女らしさに置き換えながら。あるいは、置き換えられ・・ながら。つまり、自分が消えた人生だ。わざわざ自分について考える必要のなかった、好運な人たち。あるいは考える機会に恵まれなかった、ちょっとかわいそうな人たち。

と、ここまで考えて、気づいた。そういえば私だって、自分らしく生きる、ということを意識したことなんてなかったな、と。食べていけるようになるだけで精一杯だった。そういう点では私も彼らと同じ穴の狢なのかもしれない。

あえて、彼らと私とを分けるものがあるとしたら。それは、家族に「普通などない」と知っていることなのだろう。何が家族を壊してしまうのか、も。

しかしいつのまにかそれを忘れたから、私は我が子に声を荒げてしまった。そして、メンタルクリニックに行くハメになった。仕事や家事にとりつかれ、問うことを怠けていたのだ。「私は自分らしく家族を愛せているのかな」と。心を病んで初めて、それも家族を傷つけてはじめて、自分らしさというものに考え至った、ということだ。私もまた、何かに流されるままになっていた人間の一人だ。愚かという他ないだろう。

映画祭のトークセッションで放たれた一言が、とても印象に残っている。「今も昔も、いろんな家族がいる。同じ家族なんて、いない。それが当たり前に感じられると、生きやすくなる人が増えるのではないか」

これは文字通り、家族の多様性ということだろう。そして同時に、すべての家族がオリジナルで当たり前なんかではない、ということの裏返しなんだろう。特別な誰かと手を繋いだ人生は、きっと健やかに輝く。そういう意味でも。同性婚は早く実現するといいと、切に願う。あなたと生きていけるから、自分らしく生きていられる。そんな人生が、一つでも多いほうがいいに決まってるじゃないか。去年は、訴訟を始めいろいろ前向きな動きがあった。地域によって賛否両論あるけれど、何かが確実に、そして着実に動いている。今年もそれが続くといいな、と思っている。

おわりです。最後まで読んでいただきありがとうございました。

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