うつと筋トレ〜日本一あかるい鬱日記〜 #1 人気の無さを気にする担当医

うつと筋トレ〜日本一あかるい鬱日記〜 #1 人気の無さを気にする担当医
草冠結太 2025.03.26
誰でも

「とりあえず、そのポケモンGOをお休みするのはいかがでしょう?」 

担当医が言った。ニコリとしたものの、笑顔には見えなかった。想定外の結論ゲットだぜ。

夕暮れの診察室。私は初めて心療内科を訪れていた。

「いやね、先生。レアポケモンをゲットすると、娘が喜ぶんてすよ」

 「でも、その娘さんを泣かせちゃったわけですよね?」

ぐうの音も出なかった。隣の部屋では心が寝込んでしまった誰かが、窒息しそうな胸の内を打ち明けているに違いない。なのにこちらは、最初の診断がポケGO禁止。情けないというか、ダサすぎて顔をあげられなかった。

担当医との会話では、思いあたるフシが多々あった。やはり私は、心のコップが一杯になっていたらしい。確かに年末の繁忙期で、精神的に表面張力を起こしていた。やっと正月休みだと思いきや、子どもの元気は年中無休。そのまま家事と育児の自転車操業生活へ突入。娘が喜ぶ顔見たさにポケGOに手を出し、せっせせっせとポケモンをゲットしては娘に献上した。ホスピタリティ型の鵜飼の鵜だ。グワワワワ。仕事に追われ、そのテンションのままポケモンを追い回し。そしてそれが、最後の一滴に。心のコップ、ポタリ。ポケGOって、本気でやるとあんなに忙しいものなんですね。

結果、情緒がグラグラに。突発的に機嫌が悪くなるようになった。突発的をこえて、もはや病的だった。昨日の仕事のことから幼少期の出来事まで、いろいろな怒りが脳裏でザッピングされる。呪いのビデオのように、それが止まらない。そしてとうとう爆発。しかも元旦の朝から。何度注意しても食事をとらずに遊ぶ小1の娘を、泣くまで怒ってしまった。これはマズい。我にかえった私は娘に謝りながら、病院の予約を取ったのだった。

私は俯いたまま、先生に尋ねた。どちらかというと、恥ずかしさで沈痛だった。

「うつ病の条件って、なんですか?」

「感情が動かない。気分が晴れない。眠れない。集中できない。イライラする。これが続くとかですかね」

すべて当てはまっていた。

「あの、全部当てはまるんですが」

「うちは、初診で診断を下さないようにしてるんですよ」

担当医は、困り顔を作って即答した。にべもなかったが、納得はできた。初診で薬を乱発処方してくれる病院が歌舞伎町にある、ときいたことがある。

私は重ねた。

「あと一つ、いいですか」

「はい」

「筋トレはできるんです」

「あー習慣になってるんですね」

「でも、筋トレの後は異常にイライラするんです」

「あーそうでしょうね」

そうでしょうね、って何でしょうね。担当医の表情から真意は読み取れなかったが、意外にもうつ症状と筋トレは両立する、ということはわかった。えらいもので身体のほうで運動を覚えてくれていた、ということか。それが健康のバロメーターになっていたらしい。私のように、うつと健康の境界線上を綱渡りしながら生きている人は、意外と多いのではないだろうか。

「もう一ついいですか」

「ハイドウゾ」

担当医は、もはや面倒くさそうだった。いちいち断りを入れてくるのが嫌なのか、質問そのものが嫌なのか。役所の窓口でウンザリされる時に似ていた。

「カウンセリングってなんですか?」

私は壁に貼ってあるポスターを指差した。

「はい。私もそれをお薦めしようと思ってました。次回いつになさいます?」

早っ。階段を一段ぬかして降りてしまった落下感。足元がおぼつかないまま着地を急がされたような。

「いや、カウンセリングってどういう人が受けるんですか?」

正直、怖かった。初めての経験だからではない。自分の心の奥底を打ち明けなくてはならない、そんな日をスケジュール帳に書き込むことが、だ。

「症状の軽い方です」

先生、症状って言っちゃった。

「あ。そうなんですか」

「はい。重い方はカウンセリングをとばして治療に進みますから」

怖いことおっしゃる。

しかし。そういうことなら、カウンセリングなるものを受けてみてもいいかもしれない。症状が軽い人向けなら、あまり深く突っ込んだ話にならないだろう。うつの治療が辛くてうつになりました、なんてことも考えづらい。

「では、カウンセリングお願いします」

「次はいつになさいます?いつでも結構ですよ。私、人気無いので」

行列のできる心療内科医というのは、不健全な気がする。閑古鳥のなく心療内科医というのは、不穏な気がする。

そして、私は気づいた。彼女は気にしていた、自分の不人気を。自嘲気味になってやっと、その横顔に笑みが垣間見えた。これまでのやり取りは、人柄が冷たいわけでも、対応が事務的なわけでもなく、感情の出力がそういう形式なのだと理解できた。私は、その不器用な正直さに好感を抱いた。本音は語るものではなく、漏れるものだと思うから。言いたくないことを話す相手として、信用できるかもしれない。私はそう思い始めていた。彼女の背中のむこうで、窓の外はすっかり暗くなっていた。

この日はダメ。その日もムリ。ポケGOが最後の一滴になるほど仕事を詰め込んでいる私と、不人気すぎて登院日が少ない彼女。そんな二人の予定が合う日なんて、そうそうあるはずもなく。結局、次の予約は一ヶ月後となった。それまでに処方してもらった抗不安剤と入眠剤は28日間分。結構どっさり出た。と思いきや、処方袋に入った薬は、カロリーメイトの個包装くらいにしかならず。ちょこなんと、あっけないやら心細いやら。どちらも穏やかに効く薬が微量ずつ、だった。

さて。来月のカウンセリングでは、先生と何を話すことになるんだろう。それにしても、薬はよく効くな。

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