トランスジェンダーだったSくんの職務経歴書を書いた話

このイベントは、全国的にも稀有だと思う。

名前は「グラデーションキャンパス」。
主催は「わたプロ」という学生団体で、ジェンダーやセクシュアリティの多様性を発信する催しだ。
草冠結太 2024.12.29
誰でも

私は日々、全国のダイバーシティ(DE&I)なイベントやコンテンツのスケジュール情報を収集している。その数は、直近一年で約480ほど。しかし学生がDIYで運営し、公共空間をおさえて屋外ブースやステージを組み、ストリートで発信するイベントを私は他に知らない。

この「グラデーションキャンパス」の大きな特長は、家族連れが楽しめるということだ。これも珍しい。スタンプラリーやわたがしの提供、ポップなステージパフォーマンス、正確なのに分かりやすいトークセッションなどなど。子どもが喜び、親は学びを持ち帰る。そんな工夫が施されており、去年はファミリー客で溢れかえっていた。

運営スタッフの学生さんたちも、子どもに親切。私の娘がスタンプラリーに迷っている時も、わざわざしゃがんでヒントをくれたことを覚えている。

去年の様子。来場者がスタンプラリーとわたがしに長蛇の列をなし、家族連れも多い。

娘にとって「あのわたがしのお祭り」といえば、グラデーションキャンパスだった。私たちもう一度あの空気に触れたくて、そしていろんな人がいることを知るために、今年も会場へ向かった。場所は去年と同じ、横浜・象の鼻パーク。

当日は、9月最後の日曜日だった。雨で去年ほどの賑わいはなかったものの、学生さんたちの熱意とホスピタリティは健在。彼らは今年も、娘の目線の高さまでかがんで微笑みかけてくれた。「スタンプラリーやる?わたがしと交換できるよ!」

娘は台紙を受け取り、LGBTQAPXCH(順不同)のスタンプをコンプリート。わたがしをもらっていた。そして「LとGは知ってる。男の子が好きな男の子、クラスにいるよね」と話してくれた。そりゃ背が高い子もいれば低い子もいるよね。そんな自然体。小二のリアルが頼もしい。

普段、娘と愛や性について語り合う機会は少ない。なかなかキッカケがないのだ。本当は彼女たちにこそ必要な知識なのに。だからこのイベントは、私たち親子には貴重だった。やっぱり今年も来て良かったな、と。

雨に溶かされまいと、わたがしを秒食する娘。その背中越しに、潮風にひるがえる旗が見えた。ブルーとピンク、ホワイトのボーダーフラッグ。トランスジェンダーのシンボルだった。そして足元には、労働相談のブース。

そういえば、Sくんの職務経歴書を書いたっけ。今から15年くらい昔の話。Sくんは私の母親の彼氏で、トランス男性だった。6〜7年ほど一緒に暮らした。

「結太、ライターだべ?職務経歴書、書いてくんね?」

だべ。古い湘南弁。Sくんが用紙を食卓にのせた。たった一行、「19XX年〜2009年 アパレル勤務」とだけ。あとは、砂漠のような白紙。

「プロに頼むということは、分かってるよね?」

「そこをなんとか」

「じゃハーゲンダッツね」

「ガリガリ君でどうよ」

「値切んな、店長」

アパレル勤務といっても、彼は店長だった。都内郊外エリアに2店舗。エリアマネージャーまでもう一歩。私からしたらヤリ手に見えたのだけれど、実は不安だらけだったらしい。

定年まで働き続けられるか。ちゃんと給料が上がっていくのか。そして、いつかお婆さんになる私の母を養えるのか。転職は35歳で限界、が定説だった平成の半ば。「俺もそろそろ」と思い立ったらしい。

私は純白の用紙を手元に引き寄せ、さっそくインタビューをはじめた。職務経歴書に書くべきは、職務じゃなくてスキルの経歴。それも一つじゃなくて三つは欲しい。転職経験者でもあった私は、そんなことをアドバイスした気がする。

「それじゃSくんの強み、年代順に挙げてこうか」

「俺、中卒じゃん?」

彼が天井に向かって笑った。

「今まで就職とか転職とか、誰かに相談したことある?」

「ねえっ!わはは」

今度は腰に手を当て、胸を張って高笑いした。

彼はいつも猫背だった。コーディネートもジャケット、あるいはオーバーサイズ。すべて、スポーツブラでバストを押し潰すためだった。だから胸を隠さないのは、彼なりに私を信用してくれていたのだと思う。

そんな私とすら、ごまかし笑いで目をそらす。よほど気後れしている証拠だった。作戦変更。私はバッグからPCを取り出し、Illustratorを立ち上げた。

「友だちだから安くやって」

という人間に、ろくなヤツはいない。しかしSくんは家族だった。私は、家族だから作れる職務経歴書を作ろうと思った。

あらためて最初のキャリアから聞き出していく。

「中学出た後。最初の職場って、いつの何のどこ?」

「いや、そのあと美容師の免許とってっから」

「じゃ、最終学歴は中学卒じゃなくて、美容師学校卒でしょ」

「まぁな」

Sくんはマルボロ・メンソールのソフトボックスから一本くわえた。、得意げが分かりやすい。

彼の実家は母子家庭で、高校進学のお金はなかった。しかも、母親は彼のジェンダーを認めることができず、かたくなにS子と呼び続けた。行く宛ても居る場所もない。15〜16歳のSくんは中学卒業後すぐに、友だちと共同生活を始めた。朝から晩までバイトで稼ぎ、さらに生活費を切り詰めて美容師免許を取得。

「美容師、何年やったの?」

「1年もたなかったよねぇ」

頬杖をついたSくんの、笑った鼻から煙がふき出る。言えない何かがくすぶっていたのは、聞かなくても分かった。

「大丈夫。アピールにならないことまで書く必要はないよ」

人が生きていくための自信は、家族がつけなければならない。私だ。

1年とはいえ美容師と、アパレル店員。共通しているのは、人にたくさん会うこと。初対面も多いはず。そしてどちらも、顧客の好みと似合うものの接点を、限られた手がかりから瞬間的に洞察する。しかも経験を積むほど精度は上がる。これは立派なスキルだ。

「じゃさ。今まで何人の接客した、とかある?」

「んー。数千人じゃん?」

いや、少ない。最低でも約10,000はいるはずだ。お客は一日3人と少なめに仮定。一年は約250営業日。それを専門卒業後の18歳から35歳までの17年間つづけたとすると、単純計算で12,750人になる。常連客や有休を差し引いても、10,000人はくだらないだろう。

【美容師とアパレルの職務を通じて10,000人以上にスタイリングを提案。即座に顧客のニーズと特徴を見極め、それに応える経験とノウハウあり】

私は、職務経歴欄の冒頭にこの一文を打ち込んだ。一つめの強み。

「これはね。Sくんが店で足を棒にして勝ち取った財産だし、マネのできない武器だよ」

「おお。なんか自分でもスゲーって思えてきた!」

ノせればノる。それはSくんのいいところだった。

ふたつ目の強みは、いたって簡単だった。で。がんばった結果どうなった?店長になった。そして今や2店舗を任されている。

「それにしても店長になるの早くない?」

「働き始めるの早かったし。中卒だかんね」

「いや。それにしても」

「今のショップでは史上最年少っつーの?最短らしい」

Sくんにもちゃんとストーリーはある。努力が実るスピードに、自己肯定感が追いついてなかっただけだ。

【前社では史上最短、最年少で店長に昇格。2店舗の運営を手掛ける。予実管理からマネージメントまで、年齢以上に豊富なビジネス実績あり】

これは職務経歴書の最後の段落、つまり今現在のキャリア部分の見出しにした。

さて。Sくんの強み、残り一つが問題だった。

「Sくんさ。履歴書のほう、どうした?」

すべて言わなくても、私の気がかりは伝わった。

「女にマルしたよ」

やっぱり、そうだよね。私は頷くしかできなかった。でも、彼がいわゆる“性規範に則った女性”でないことは、履歴書の写真ですぐに分かる。ネクタイ。ソフトモヒカン。ノーメイク。

当時「トランスジェンダー」という横文字は、今ほど広まっていなかったと思う。その頃Sくんが自認していた、そして今はもう使うべきでない「性同一性障害」も、一般的と言えたかどうか。世間は同性愛とごっちゃにし、嘲笑をまぶしてレズだオナベだと呼んでいた。

「男性」と書けば虚偽記載といわれ、「女性」と書いても珍奇の目。やってらんねぇよ。私は、Sくんを履歴書だけで判断されたくなかった。本当の彼はそこにいない。かと言って三つめの強みが浮かばない。私は、話題を変えた。

「今の仕事場の写真、使おうよ」

Sくんは人に好かれた。同僚からも、お客さんからも。それがアピールポイント、というか次の会社の安心材料になるのではないかと考えた。

「多めに送って。選ぶから」

「職務経歴書に写真とか、ありなの?」

Sくんは訝しみながらも、職場の写メを一つひとつPCに送ってくれた。売り場、展示会、飲み会に結婚式。次々と画像が届く。

私がディスプレイに集中していると、頭の上でガラケーをたたむ音がした。カチャッ。顔を上げると、Sくんと目があった。

「結太、メモって。三つめ」

「どうぞ」

「【私には人と違う個性があります。そんな私だからこそ理解できる人の気持ち、解決できることがあります】これっかねーべ。なんかコソコソするの、コイツらに、店長ダセーって言われるなって」

そして付け加えた。

「あと、コンプレックスは隠すと目立つ。むしろ出せ。これファッションの基本な」

生き様が、最後の強み。私は少し大きなQ数で、経歴欄の最後に書き足した。

後日。書体を厳選して全文を書き上げ、画像をレイアウト。字間も行間も余白も細部まで調整し、上質紙に出力した。たったA4一枚だけれど、美しい職務経歴書だったと思う。それはSくんの人生の美しさだった。彼は表彰状をもらう面持ちで受け取ってくれた。

結果、あっさり転職が決まったのには驚いた。しかも転職エージェント。職務経歴書を見せたところ、面白いヤツだとスカウトされたらしい。そんなパターンあるのか。

「結太サンキュー!俺もビジネスマンデビューってか!」

そしてまたもやあっさりと、彼はアパレルへと戻った。一年も経ってなかったと思う。理由が何だったのか、私は覚えていない。もしかしたら聞かなかったのかも知れない。とにかく

「わり。辞めたんだわ」

と報告してきたSくんは、やっぱり笑っていた。私にできることは夕飯を用意して、彼の帰りを待つくらいのものだった。

もしもあの頃、セクシュアリティに理解のある相談窓口が身近にあったら。私なんかを頼らずに、プロに相談できてたら。Sくんの可能性は、どこまで広がっていただろう。私は、グラデーションキャンパスのブースに座る彼を想像した。横浜で全開になる湘南弁を。猫背で丸い背中を。潮風にゆれるソフトモヒカンを。来年のイベントは、晴れるといいな。そして一人でも多くの人が、自分らしく働けるようになるといいな。そう願った。

ちなみに。2008年に認定NPO法人虹色ダイバーシティが発表した調査によると、トランス男性は他の人たちと比べて、サービス職やブルーカラー職の割合が高かったという(岩波ブックレット「トランスジェンダーと性別変更」2024)。ちょうどSくんに重なる。ブルーカラーって言い方キライだけど。

干支が一巡した2020年。同法人がICUジェンダー研究センターと共同発表した調査結果でも、傾向はあまり変わっていなかった(下記資料P28)。トランスジェンダーの人にとって、就業の選択肢が不当に狭まっていると言えそうだ。私も誰かが就くはずだったポジションを、知らず知らず奪っているのかもしれない。それを忘れないでいようと思う。

(おわり)

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