紙ヒコーキおじさんのいる公園に

朝っぱらから、妻が暗い映画を観ていた。
子どもと夫をともに失った女。女の生活を支える、秘密を抱えた男。テレビ画面が、二人の幸せな日常を静謐に、そして儚く映していた。
「こんだけ男前やと、軽トラ乗っても男前やな」
妻が暴言で俳優を褒める。車種と運転手の顔だちに関係を見出す人に、初めて出会った。彼女との鑑賞はいつも新鮮だ。そうは言ってもこの映画は、起きぬけには重すぎる。私は迫真の演技にいたたまれなくなり、近所の公園へ散歩にでかけることにした。
春には桜の名所として賑わう公園だった。敷地のぐるりを囲む木々を抜けると、一面に芝生が広がる。登校する制服姿が見える。スーツ姿が自転車で駆け抜けた。サックスの練習が聴こえた。犬の散歩とすれ違い、ランナーに追い抜かれた。みんなやることがあるらしい。有休の私は、世間から取り残された気分が心地よかった。あ。いた。平日もいるのか。ねずみ色のキャップ。紺のブルゾン。ねずみ色のスラックス。黒のスニーカー。地味すぎて、朝の公園では逆に目立っていた。
この公園には、名物おじさんがいる。
名物といっても、我が家の中だけの有名人なのだが。通称「紙ヒコーキおじさん」。その名の通り、いつも紙飛行機を飛ばしている。私たちが週末に公園を訪れると、彼も必ずいた。
そうか、平日もいるのか。しかもこんな朝から。見るたびに違うタイプの紙飛行機を飛ばしているのだが、この日は飛距離を楽しむタイプの飛行機だった。おじさんは手にした機体を一瞬見つめて、上空に目線を移した。そして槍投げのフォームで振りかぶり、1歩2歩3歩と助走をつけ腕を振り抜いた。足が後ろに高く上がり、踵が天を指す。その分、上半身のすべてを使ったフォロースルーは、大きく、深く。腕というより頭から地面につっぷすような勢いだった。
おじさんはすぐさま上体を起こして、空に飛行機を探す。一連の動作が垢抜けていた。飛行機は最高到達点まで高度を上げたあと、ゆらりと力を失って下降した。と思いきや機先が持ち上がり、翼が風をとらえる。軌道が水平に変わった。そのまま木々に衝突するまで飛び続けそうだった。急上昇からの安定軌道。うちの新商品もあんな美しい売上グラフを描いてみたい。紙飛行機が染まりそうなほどの青空だった。空を見上げるなんて、久しぶりだと気づいた。おじさんはキャップのつばを指でつまみ、小走りで飛行機を追いかけていった。お見事。
私は、その勇姿をあとにして、散歩を続けた。彼の仕事はなんなのだろうか。朝から紙飛行機遊びに興じるなんて、豊かな生活であることは間違いない。空や風と戯れる趣味。センスが良い。
待てよ。遊びじゃないのかもしれない。あれは仕事の一環。練習、あるいは試作機か何かのテストだとしたら。そうだとすると、平日も週末も熱中できる仕事。商売道具は空と風。ますます素敵じゃないか。紙飛行士。いや、国内にそんな市場があるか。世界は広い。活躍の場は海外なのかもしれない。となると職業名も英語。ペーパーパイロット。なんだか、とたんに頼りなくなった。「お仕事は何をされているのですか」などと訊く勇気は持ち合わせていない。でも、やっぱり実は何かのプロだったりして。それにしても、空がきれいだ。
「頭を空っぽにする」なんて言ったりするが、人は本当に何も考えないことなどできるのだろうか。私は無理だ。何をしていても、仕事の不安や困りごと、恨みつらみが混線してくる。頭のチャンネルを変えるために、いつもと違う思考回路でいつもと違うことを考えるのが、せいぜいの気分転換。今朝はおじさんにチャンネルが合った。公園一周50分。後厄こえたおっさんが、知りもしない紙ヒコーキおじさんに思いを馳せるには長すぎる時間。いつのまにか私はスタート地点に戻っていた。きっと今ころ、映画は終盤。いいところに差し掛かっているだろう。この青空と、あのクライマックス。その落差に、心がついていけそうにない。何より、気を散らせば妻は怒るだろう。「タイミング考えろや」と。ということで、もう一周することにした。
おじさんは、まだやっていた。さっきと同じ場所で。今度は、割りばしの先に輪ゴムを括り付けたような発射器を使っていた。今でいうスリングショット、昭和世代はパチンコと呼ぶアレの要領だった。ゴムに飛行機をひっかけ、ギューっとひっぱる。限界まで。射角はほぼ90度、つまり真上。太陽に弓を引くように。そして静止。早く離さないとバチンといくぞ、と緊張した瞬間。ピュン。おじさんが飛行機を飛ばした。飛ばしたというより、発射した。
飛行機は垂直に上昇し、成層圏から折り返した。着地を焦らすように大きく螺旋を描き、呑気に滑空している。ねずみ色のキャップが、飛行機を見守っている。紺のブルゾンが風に膨らんでいた。滞空時間が長い。そうか。あの機は、軌道の妙を楽しむタイプか。
飛行機が描く螺旋に、スッと直線が横切った。鳥ではなかった。紙飛行機が、もう一機。「え?」思わず口から漏れた。私はあたりを見回した。二号機の離陸地点を探す。
「え?え?」少し離れた木の根元。そこにおじさんがいた。ねずみ色のキャップ。紺のブルゾン。ねずみ色のスラックス。飛行機を追って、走り寄ってくる。靴が黒い。こっちは?あ。茶色。おじさんたち、ツインコーデ。靴で個性を出していた。
飛行機を見守り佇むおじさん。飛行機を追いかけてくるおじさん。マルチバースが交差する。「どうですか」「うん」飛行機乗りの敬礼を思わせる、短い挨拶だった。
そこから二人はときどき風を読んだり、機体の調子を報告しあったり、手先の器用さを褒めたり褒められたり、謙遜したり、紙の折り具合を調整したりしながら、何度も何度も飛行機をとばしていた。5月の風が吹き続ける。芝生に光の波が走る。私は二周目を切り上げ、家に足を向けた。
同じ趣味、同じ場所、同じ時刻。そして、ほぼ同じ服装。彼らはどんな関係なんだろうか。チームメイト。紙飛行機仲間。地元のともだち。ご近所さん。ただの顔見知り。恋人。どれでもないかもしれない。重なった関係なのかもしれない。ゲスの勘ぐりとわかりながら、歩いているとつい考えてしまう。
週末の公園では、二人が揃ったところを見たことがなかった。おじさんたちだけではない。団欒の家族。賑やかな友人グループ。チュッチュしている男女カップル。多くの人たちで賑わう公園で、男性の二人組が休日を楽しんでいる様子は、記憶になかった。
この公園は桜の名所であると同時に、夜はゲイの人の出会いの場としても有名ときいたことがある。それが本当ならば、青空を楽しむゲイカップルだって、いや、ゲイに限らずもっといろんな人がいるほうが自然なのだ。おじさんたちの関係は、知らない。知る筋合いもない。他人の思い込みやカテゴライズは暴力であり、まして勝手に名前を付けるなど論外だ。でも。二人のような関係があちこちに見える公園は、きっと居心地がいい。とりわけ、名前のつかない関係の豊かさを、不合理と切り捨ててきた私にとっては。いろんな人が大切な誰かと、思い思いに過ごしている。そんなところに、私も大切な人を連れて行きたいと思う。
家に帰ると案の定、映画は今まさに、男の秘密が明かされていた。そして、妻は寝ていた。彼女のまさかは、映画のまさかを上回る。レースカーテンが風になびいていた。私がお腹にブランケットをかけると、妻はガッといびきを一つかいた。
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